深志神社について

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御祭神・御神紋

御本殿二殿

御神紋・梶の葉紋

宮村宮 建御名方富命(たけみなかたとみのみこと・お諏訪さま)
梶の葉紋

御神紋・梅鉢紋

天満宮 菅原道真公(天神さま)
梅鉢紋

鎮座地

城下町松本のまちは、中央を流れる女鳥羽川をはさんで、江戸時代には北に武家屋敷地、南は町人地と分かたれ、その川南である南深志の地を守護されている氏神さまが深志神社です。

氏子の方々は、48ヶ町、約5,000戸です。

歴史・由緒

宮村宮と天満宮の創祀は、信濃国守護・国司であった小笠原氏の信仰と深く関わります。

社伝によると、宮村宮(宮村大明神)が信濃国府中の井川城に居館した小笠原貞宗公により、その丑寅(北東)にあたる、長沢川の北端、捧荘庄内郷宮村の地に、諏訪明神の霊夢を受けて南面に社殿が造営され、祀られたのは南北朝時代初め暦応2年(1339)9月9日でした。

その後、永正元年(1504)小笠原氏は、深志城(のちの松本城)を築いて移るに及んで産土神と崇敬し、社殿を西面に直し、城の巽(南西)の鎮護神とされました。

一方、天満宮は、小笠原貞基公が応永9年(1402)、居館である井川館近くの鎌田の地に京都・北野天満宮より勧請されていましたが、のち江戸時代の慶長19年(1614)6月25日(菅公の御誕生日)、後裔である小笠原秀政公が、宮村明神の北側にさらに勧請され、並び祀られました。

写真:深志神社正面鳥居

そののち、両宮は「宮村両社・宮村大明神・宮村神社・宮村天満宮・深志天神」などと称され、お城と城下町の鎮護の神社として歴代城主により篤く敬われました。そして正式な社名を、天保12年(1841)に京都・神祇道管領長上吉田家の認可を受け、「深志神社」と定めました。

社格は明治5年に郷社、昭和3年には御大典記念昇格により県社に列格しました。また昭和41年には神社本庁別表神社に加列しました。

信仰

当社は、武の神である諏訪明神への信仰に始まり、のち城下町の形成とともに地域の守り神(産土神・うぶすなかみ)として展開し、特に天満宮は学問の神として崇敬され、人々から「深志(深き志し)の天神さま」と敬いと親しみをこめて称され、篤い信頼と祈り・願いが寄せられてきました。

平成14年、氏子・崇敬者の皆さま方の真心のこめられた奉賛により、御祭神菅原道真公御正忌1100年大祭と記念行事が盛大に斎行され、記念事業として社殿・境域が全面的に改修整備され、いやますますの御神徳(みたまのふゆ)が人々より仰がれています。

宝物・文化財

松本城の歴世の城主である石川、小笠原、松平、堀田、水野、戸田家は当社を崇敬し、社殿・宝器・神宝等が寄進されました。

写真:宮形
宮形

写真:神輿 2基(宮村宮・天満宮)
神輿 2基(宮村宮・天満宮)

  • 菅原道真公像及び宮形・三階菱紋鎧
    元和元年(1615)、松本城主小笠原忠真公が大坂夏の陣へ出陣の際、戦勝を祈願され、帰陣後寄進されたと伝えられます。
  • 神輿 2基(宮村宮・天満宮)
    元禄11年(1698)、松本城主水野忠直公の寄進で、市重要文化財に指定されています(昭和44年)。
  • 夢想連歌 1箱
    延宝3年(1675)、松本城主水野忠直公から奉納されました。
  • 絵馬 約70面
    松本城主松平光庸公自筆を始め、松本藩士及び氏子崇敬者より奉納され、絵馬殿に収納、展示されています。

深志神社社報

社報 第10号 (平成22年7月 1日 発行 3.60MB)
社報 第9号 (平成21年12月 1日 発行 2.74MB)
社報 第8号 (平成21年7月 1日 発行 4.06MB)
社報 第7号 (平成20年12月 1日 発行 1.88MB)
社報 第6号 (平成20年 7月 1日 発行 12.7MB)
社報 第5号 (平成19年12月 1日 発行 10.1MB)
社報 第4号 (平成19年7月 1日 発行 10.4MB)
社報 第3号 (平成18年12月 1日 発行 10.2MB)
社報 第2号 (平成18年 7月 1日 発行 10.6MB)
社報 第1号 (平成17年11月25日 発行 12.7MB)

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