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舞台保存会だより10 中町二丁目舞台の高欄下彫刻について

2009年2月24日

中町二丁目舞台の高欄下彫刻について

 

前々回に続き中町2丁目舞台の高欄下彫刻について紹介をしたいと思います。

右側面を飾る2場面は「神功皇后と武内宿禰」の図と「中大兄皇子と藤原鎌足」の図です。

2008_1209中町2丁目舞台0007

(右側面前部「神功皇后と武内宿禰」の図)

滄海の西、新羅遠征に向かおうとする神功皇后と武内宿禰の図です。

神功皇后(じんぐうこうごう)は北九州の地に遠征して兵の進むべき方向をめぐり、夫・仲哀天皇と対立しますが、その死後、武内宿禰(たけしうちのすくね)とともに神意を伺い、祈ひ(うけい)を重ね、師(いくさ)を興して新羅を攻めました。

順風に乗った軍船はたちまち彼の地に到り、その勢いに恐れ慄いた新羅の王は白旗を揚げ、戦わず降伏したと伝えられます。

帰国後、皇后と生まれたばかりの太子・誉田別尊(ほむだわけのみこと・応神天皇)は忍熊王(おしくまおう)らの反乱に遭いますが、武内宿禰の軍略により反乱は鎮圧。ここから古代王朝は応神、仁徳と続く全盛期を迎えます。武内宿禰は王朝草創の功臣とされています。

2008_1209中町2丁目舞台0005 

(右側面後部「中大兄皇子と藤原鎌足」の図)

当時まだ中臣鎌子(なかとみのかまこ)と名乗っていた藤原鎌足が初めて中大兄皇子と出会う場面。

鎌足は蘇我氏の横暴を憎み、とりわけ蘇我入鹿の抱く野望を社稷の危機と感じて、これを除くことに心を砕き、そのために志を同じくする仲間・指導者を探していました。やがてその人物を中大兄に見出しますが、身分の低い彼鎌子にはなかなか皇子と接する機がありません。機会を窺ううち、法興寺での蹴鞠(けまり)遊びの際、とうとうチャンスが訪れました。

『日本書紀巻第二十四 皇極天皇三年正月』の条『偶(たまたま)中大兄の法興寺の槻(つき)の樹の下に打毬(まりく)うる侶(ともがら)に預(くはは)りて、皮鞋(くつ)の毬の随脱け落つるを候りて、掌中に取り置ちて、前(すす)みて跪(ひざまづ)きて恭(つつし)みて奉る。中大兄、對ひ跪きて敬(ゐや)びて執りたまふ。』

彫刻の場面、正にそのままです。そして『茲より、相(むつ)び善みして、倶に懐(おも)ふ所を述ぶ。既に匿(かく)るる所無し。』という間柄になります。この二人が翌年入鹿を誅して蘇我氏を滅ぼし、古代史上最大の政治事件である「大化の改新」を成し遂げることは誰も知るところです。

歴史の糸を紡ぐのが人と人との出会いであるならば、この場面は日本の歴史上最も重要な出会いの場面といえるでしょう。

次に左側面。こちらには楠木正成と和気清麻呂の場面が配されます。

舞台資料 016 

(左側面前部「楠公、鳳輦を迎へる」の図)

大楠公、楠木正成(?1336)は後醍醐天皇に仕えた、いわゆる建武中興の忠臣。

彫刻の場面は配流された隠岐の島を脱し、船上山の陣に勝利して都に還幸する主上・後醍醐天皇を兵庫に迎える楠木正成の図です。『太平記巻第十一』に『楠多門兵衛正成七千余騎ニテ参向ス。其勢殊ニ勇々敷(ゆゆしく)ゾ見ヘタリケル。主上御簾ヲ高ク捲カセテ、正成ヲ近ク被召(めされ)「大儀早速ノ功、偏ニ汝ガ忠戦ニアリ。」ト感ジ被仰(おほせられ)ケレバ、正成畏ッテ…云々』とあります。

跪いて主上を迎える楠公とその部下。彼方に大軍を擁し凱旋する天皇の鳳輦(ほうれん)と、錦の旗が正成公の忠義を誉めそやすように翻るさまが見えます。

舞台資料 015 

(左側面後部「和気清麻呂公、八幡神を拝す」の図)

和気清麻呂(わけのきよまろ) (733?799)は称徳、光仁、桓武の三朝に仕えた、すなわち奈良時代から平安朝に移行する時代に活躍した大変重要な政治家です。特に称徳帝時代、姦僧道鏡と正面から対決し、節義を貫いて皇統を護ったことは、比類なき忠節と称えられました。

称徳天皇の寵をほしいままにし、権勢をふるっていた僧道鏡は「道鏡を皇位に就けたなら、天下太平ならむ」という宇佐八幡の神託があったと聞き、事の真相を確認させるため和気清麻呂を宇佐神宮に使いさせます。しかし彼は「天つ日嗣(あまつひつぎ)にはかならず皇緒をたてよ。無道の人はすみやかに除け」との託宣を受け、帰京してそのまま奏上したので道鏡は大いに怒り、清麻呂の官位を解き大隅国に流しました。

この大隅配流に際し『日本後記』は次のような説話を伝えています。

大隅へ下向の途次、公は脚が萎え起立できなくなります。(道鏡の刺客に襲われたためとも)しかし病をおして八幡神を拝するため豊前国宇佐郡に到った時、野猪が三〇〇頭ばかり路を挟んで並び十里ほど走り去って山中に消える、という不思議に出会います。(その意味は解りません)そして八幡社を拝する日に脚が回復し歩くことができたといいます。

彫刻はこの突如猪が現れる不思議の場面を描いています。

京都市上京区に鎮座する護王神社は和気清麻呂公を祭神として祀る神社です。その社前には狛犬ならぬコマイノシシが左右に屹立し、今も清麻呂公を護っています。

もう1点、最後尾の彫刻については引き続き次回の紹介といたします。

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