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舞台保存会だより22 秋祭り 北大妻野々宮神社の舞台

2009年10月 2日

秋祭り 北大妻野々宮神社の舞台

(掲載の写真はクリックすると拡大します)

 

9月は秋祭りのシーズンです。週末ともなるとあちらこちらから煙火の音が響き、村の鎮守の祭りを告げます。舞台も曳き出されて氏子の集落をめぐり、神社へと曳き込まれます。

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(境内に曳き込まれる吉野神社の舞台) (高欄下の白いスピ?カーが印象的)

写真は豊科町吉野神社の舞台。お囃子とともに子供たちに曳かれ境内に入ってくるところです。近づくとお囃子の音を拡声させるためでしょうが、正面のラッパ型スピーカーがいきなり目に飛び込んできます。ガタガタと機械音もしていますので、覗いて見ると車体の下で発動機が回っています。補助動力のエンジンか?と考えましたが、たぶん発電機でしょう。曳き回しながら提灯を点灯し、スピーカーも大音量が出せるという仕組みです。その気になれば舞台の二階でカラオケ大会もできそうだな、と想像しましたが、吉野の方が読んでいたらごめんなさい。

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(提灯や灯篭に火が灯っている) (エンジン? 発電機のようです)

とはいえこの程度の舞台装備は別にそれほど珍しくもありません。何処とは申しませんが、和田の辺ではパトカーよろしく赤や青の回転灯を点滅させた舞台が、暴走族さながらに派手なクラクション音を響かせて爆走しています。初めて目にしたときは思わずのけ反りましたが、若者たちが夢中になって舞台と遊んでいる姿には感ずるものがありました。

いったい美術工芸品のような舞台が婦人老人たちに曳かれて静々街を廻るのと、秋の田園をさまざまな髪色の青年たちにどやしつけられるように曳き回される舞台と、どちらが本来か、舞台にとってどちらが幸せでしょうか。簡単には答えられませんが、祭りとしてなら後者でしょう。深志舞台は現在、次々と改修され美しい姿で再デビューを果たしていますが、本当にこれでいいのかなと疑問も感じているのです。

そんな中、9月24日に旧梓川村北大妻の野々宮神社へ行き、その舞台を見てきました。

北大妻の舞台は江戸時代の中ごろ松本本町2丁目の舞台として曳かれていたという由緒の舞台で、かねてから一度しっかり見てみたいと願っていたものです。

 

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(北大妻 野々宮神社 鳥居と拝殿)

この舞台は寛政5年(1793)本町2丁目の舞台として制作され、その後天保8年(1837)15両で大妻村に売却されたことが判っています。すなわち今から300年前、この舞台は南深志の街中を曳き回され、そしてその後も大妻の里で、通算300年以上の永きに亘り曳き回されてきました。現在由緒の判明している舞台としては、松本平最古とされます。

祭典は3時からですので2時半頃野々宮神社に到着すると、舞台はちょうど神社正面の五つ燈籠の下をくぐって境内に曳き込まれようとするところでした。天気は快晴で、左右に西川久寿男先生揮毫の幟がはためいています。

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   (正面から神社に向かう野々宮神社舞台)         (境内入り口で休憩)

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(最初のパフォーマンス)

しかし、舞台はすぐに境内に参入せず、参道入り口の石橋の前で止まり、曳き手は暫し休憩となりました。人間もアルコールを補給します。ちょうど祭典の開始時間に、およそ200メートルほどある参道を一気に拝殿前に曳き込むのだそうです。

その間ゆっくりと観察させてもらうと、確かにこれは松本深志舞台の原型といえる舞台であることが判りました。

サイズは小ぶりです。幅はちょうど一間、長さも舵棒まで含めても一間半ほどで、ふだん現在の深志舞台を見ている目には子供舞台とでも呼びたくなる大きさです。これが江戸時代中期の標準サイズだったのでしょう。

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(舞台と小屋根の漆塗り タタキの技法で仕上げられている)

しかし、それ以外は深志舞台の特徴をほぼすべて備えていました。前輪が大きい三輪形式、起り型の屋根と小屋根、全体が漆で塗装されており、その下層は春慶塗り・上層は黒漆塗り、もともとは朱色だったと推定される小屋根は変り塗りの技法で仕上げられています。そして、各階には高欄・手摺りが回らされ、そこには素木の彫刻が嵌め込まれていました。

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(屋根の下、下魚の彫刻 梅福仙人と飛竜)

主な彫刻は、下魚に梅福仙人と飛竜、高欄下の台座には竜、下層の手摺りには見事な七福神が彫られていました。また、手摺りの角の小窓部分には草花や茸・小動物などが小品風に嵌め込まれ、優しい印象を添えています。この辺の設えは小池町や飯田町1丁目の造りとまったく同一です。

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(一階手摺りの彫刻 七福神 300年の歳月も重なりとても味わい深い)

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(一階手摺り小窓部分の彫刻 明らかに後世の彫刻に影響を与えています)

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(飯田町1丁目舞台の一階手摺り小窓部分の彫刻)

これらを綜合すると深志舞台の基本型は、この寛政年間の舞台においてすでに完成していたということができます。

やがて時刻となると舞台は石橋の前で態勢を整え、合図とともに一気に走り出しました。鳥居を抜け、神楽殿脇をすり抜けるときは素晴しい速さになります。曳き手の青年が全力疾走する速さ、この辺の舞台であの速さは最速です。岸和田のダンジリ並みでしょうか。

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(拝殿前に走り出す舞台)                  (全速力の舞台 手前は神楽殿)

舞台は拝殿前に横付けされると、人を乗せたままエイッと舵棒を持ち上げられ、前輪とバンパー部分で斜め前のめりに押し立てられました。ちょうど蹴躓いた恰好です。中に人を載せたまま舞台の逆立ちとでもいったパフォーマンス。深志舞台はもちろん他所の舞台ではとても真似のできない芸当です。そして、なによりその頑丈さ、300年も曳き回されてきて、こんな芸を許す舞台の造りに唖然とする思いでした。

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(舞台の逆立ち?押し立てられた舞台) (後ろから見るとこんな感じ)

300年とひとことで言いますが、舞台行事を行って300年というのは恐るべきものがあります。舞台が曳き回されるのは年に一度か二度ですが、車輪付の木造家屋といったものですから、曳かれる時は絶えず震度幾つの地震に遭っているようなものです。したがって舞台の構造は柔構造、衝撃や振動を体を震わせて吸収・開放する仕組みとなっています。それを可能にするのが木組みや計算された緩み、木材の粘りといった要素の組み合わせなのでしょうが、大工も独楽のように斜めに押し立てるというような使用法までは想定していなかった筈です。しかし北大妻の舞台連(愛敬連)の皆さんは遠慮会釈なしに舞台を取り扱い、走らせ転がし芸をさせています。すでに300歳を超えながらそれを平然と受け止める舞台の性能というものは驚くべきものと感じました。

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(野々宮神社と舞台) (愛敬連の人たち 舞台の前で記念写真)

拝殿で神事が始まると舞台は正常位に戻され、連の人たちは子供を拝殿に上げ、外から祭りに参列しています。そのうち一人がラッパ飲みしていた一升瓶の酒を舞台の前輪にぶっかけ始めました。潤滑油のつもりか、走り回り熱くなった舞台へのねぎらいでしょうか。酒を掛けながら何か舞台に話しかけているようです。

見ているうち、ふと胸の中に神社境内の心地よい秋風が入ってくるのを感じました。

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