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舞台保存会だより30 舞台とお船、竣工と着工

2010年7月11日

舞台とお船、竣工と着工

(掲載の写真はクリックすると拡大します)

 

6月20日、里山辺湯の原町お船の清祓式がありました。もちろん改修工事のための清祓式です。私も来賓として招かれ、行って参りました。深志舞台のお祓いは不肖私が執り行いますが、山辺のお船は当然須々岐水神社の宮司さんがなさいます。上條宮司さんと申されまして、代々続く薄宮社家の宮司さんです。

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(神事の臨む湯の原町のお船) (お船の清祓い 切り幣を撒いて祓う)

宮司さんは流石にお船の「魂抜き(たましいぬき)」などという乱暴なことは言いません。「清祓式(きよはらいしき)」です。これだと山車に神やスピリッツが宿るのかどうか、といった得体の知れぬ神学に悩まなくて済みます。

神道ではお社の外の神事では神様を斎場にお招きする「降神(こうしん)の儀」という神事があります。これは微音で神さまの名を呼び、その声を覆うようにオーと警蹕(けいひつ)の声を掛けるのですが、祭場にマイクが入っていたので微音が聞こえてきました。宮司さんは須々岐水神社の神、久々能智(ククノチ、又はククヌチ)の神、それと彦狭知(ヒコサシリ)の神を降ろしているようでした。須々岐水神社の神は里山辺の産土神、久々能智は木の神、彦狭知は匠技の神です。木製建造物の場合、大体この神々を祀ることが多いようです。舞台・お船は木と匠技による造形物です。

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(神籬(ひもろぎ)と供え物 この青葉の枝(神籬)に神を降ろす 神の依り代)

さて、湯の原のお船の建造は安政4年(1854)立川富重、富種の作と伝えられます。今から150年余の昔です。隣の薄町や下金井のお船も殆んど同時期の製作で、殊に薄町は作者も同じことから兄弟船とも言えそうですが、それらには後年の補作部分もあり、もっともオリジナルな形を残しているのはこの湯の原の舞台と言えるのでしょう。

安政と言うと大獄という言葉が続いて、大きな弾圧とテロリズムが開始された年号ですからイメージはよくありませんが、松本ではこんな充実した山車が制作されていました。

里山辺のお船は大正時代に新たに加わった一艘を除き、全て江戸時代の建造です。古いものは江戸時代中期に遡りますが、多くは天保から幕末にかけてで、江戸後期、18世紀初頭から中葉までの製造になります。この時期に山辺のお船は完成したといってよいのでしょう。

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(薄町のお船 須々岐水神社の例祭にて) (下金井のお船 安政4年の建造)

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(薄町お船の彫刻 東方朔・呂洞賓 これも立川富重、富種の作と伝えられる)

舞台についても現在深志神社にある舞台でこの時代のものは博労町舞台だけですが、明治期に売却された何台かの深志舞台を見ると、やはりこの時代のものが断然優れた舞台と言えます。大町の舞台、池田の舞台、波田の舞台。そこで売ってしまった町の人々はそのことを悔しがるわけですが、それよりも深志舞台が周辺の町に残り、大切にされていることのほうが重要でしょう。それが文化ということだと思います。

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(下波田の舞台 舞台に集う祭青年や祭典奉仕者)

その安政から10年後、江戸時代が終わり明治の御世となります。しかし明治に入ると舞台もお船も一気に衰退するようです。御一新、文明開化でとても山車どころの話ではなかったのかも知れません。舞台・お船の新規制作は殆んどなくなります。彼らは因循姑息、前時代の遺物として隅の方へ追い遣られたのでしょう。

明治という時代は政権がテロと内戦により権力を握った覇権政権でしたから革命が必須で、日本における文化大革命の時代でした。その後の教育で国民には肯定的に教え込まれましたから良い時代のイメージがありますが、新しい国・価値観を作り上げる一方で、古くから日本人が育んだものの多くが滅びました。文化を育て楽しむということは難しい時代でした。舞台やお船なんぞ造る余裕があるのなら戦車や軍艦を作らなければなりません。

いずれにしても幕末までの江戸時代に山辺のお船が造られてしまったことは大変良かったと思います。お蔭で現代のわれわれは江戸文化の粋ともいうべき見事なお船を、纏まって見ることができます。山辺の古人たちに感謝をしなくてはなりません。

この清祓式から4日後、6月24日に今度は本町2丁目舞台の入魂清祓い式がありました。こっちは私にとって本番です。季節がら天候が心配されましたが、梅雨も開けたかのような快晴で、気持ち良く祭典奉仕することができました。

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(本町2丁目舞台入魂清祓い式 神事の風景)

仕上がった舞台は艶やかで木目も鮮やか。まるで新造のようです。よく改修をして『創建当時の姿に…』などと言いますが、改修は改修ですのでいくら漆を塗り替え金箔を貼り直しても経年は覆えません。殊に春慶であれ漆を塗装してある本体は改修により鮮やかな木目を蘇らせますが、彫刻など素木の部分は経年乾燥もあって元の木地には戻りません。古色と新しさがないまぜになって、表現は悪いのですが厚化粧した老婆のような違和感を覚えることもあります。しかし、この本町2丁目舞台は何と言ってもまだ新しい。昭和9年の建造ですからまだ80年も経ていません。本当に創建当時のように感じられました。

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(改修成った本町2丁目舞台) (網代型輪覆いと台輪部分 木目が美しい

例の太田南海の高欄下彫刻などは、おそらく埃を落としてクリーニングしただけだと思いますが、木目が今まで以上にシャープに浮き立ち、昨日彫り上げられたような鮮烈さを感じさせました。これは時代の新しさもさることながら、材木の良さ、そして彫りの良さが預かってのことだと思います。解体直後の修理審査委員会の際に古民家再生で著名な降幡廣信先生も指摘されましたが、この舞台は使用されている木材料がずいぶん良いそうで、専門家の眼から見ても建材としての生命力が衰えていないとか。昭和の建造とは云え長く後世に伝える価値のある舞台と言えましょう。

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(高欄下彫刻 梅福) (高欄下彫刻 西王母)

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(高欄下彫刻 寒山) (高欄下彫刻 豊干禅師)

その点心配になるのはこれから修復に入る湯の原お船です。彫刻は何度見ても溜息が出る見事な出来栄えですが、その木質は気になります。見るからに乾燥が進み、今にも崩れそうな個所も見受けます。近年彫刻の傷みが多くなりましたが、その原因は取り扱いだけでなく、根本的に木が脆くなり崩れ易くなってきていることが主因だと考えられます。特に細い部分、小さな彫刻。四方から乾燥の進むこうした部分は、今後何らかの化学的処置が必要ではないかと思います。立川流のプライド「素木彫(しらきぼり)」は、漆や彩色でコーティングしないため、素材の乾燥という問題点を抱えているのです。

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(湯の原お船の大盤彫刻「剡子(部分)」ひび割れや欠損もみられる)

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(大盤彫刻「剡子(部分)」細密な彫刻) (大盤彫刻の縁の彫刻)

さて、舞台の入魂神事の後は例によって町会主催の祝賀会となりました。パーティーはともかく、今回町会では記念冊子ではなく本町2丁目舞台の歴史と修復風景を収録した記録DVDを製作し、これがパーティーの席で上映されました。町内の本屋さんや電器屋さんによる手作りDVDですが、これが大変素晴らしい。かつて本町2丁目舞台であった北大妻の舞台や大町大黒町の舞台を取材し、殊に大黒町舞台の組み立て風景など初めて目にする映像で、本来の江戸の舞台のあり様が知られ勉強になります。できたら編集していない全部を見てみたい。また、解体から修復されてゆく各工程も克明に追われ、2丁目の人たちのこの舞台に寄せる強い情熱が感じられました。

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(竣功記念として製作されたDVD「松本 本町二丁目 平成の舞台修理)

(希望者には2,000円でお頒けするそうです。本町 山田電器店 0263-35-0016 まで)

挨拶の中で渡辺町会長が強調していましたが、本町2丁目は舞台の曳きまわしに際し、曲がりでも決して後輪を引き摺らず、しっかり舵棒をあげて音をたてず方向転換をすることが町則なのだそうです。どうかこの伝統を固く守り、5代目とされるこの舞台を長く後世に伝えていってほしいものだと思います。

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(鬼と下魚「鳳凰」 この鳳凰は本当に素晴らしい 幌で隠さないでください!)

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