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舞台保存会だより57 はんだ山車まつり

2012年10月17日

はんだ山車まつり

10月6日、松本深志舞台保存会・本年度特別事業として、『第7回 はんだ山車まつり』に行って参りました。私も含め保存会会員27名と、松本市文化財課の小原さんに同行いただき、総勢28名での研修旅行でした。

最近まで知りませんでしたが、松本市には市所有のバスがあり、公民館や町会活動などには基本無料で利用できるのだそうです。しかも運転手付きで。今回も交通費というものは高速道路料金しか掛からず、極めて経済的に半田まで往復することができました。公共サービスとは云え有り難いことです。松本市にはこの場を借りて御礼申し上げます。

朝7:30、伊勢町Mウイング前を出発。中央道から伊勢湾岸道路を走って愛知県知多半島道路へ。半田ICで降り、半田市の指定バスレーンに降りたのは11:00を少し回っていました。空には秋雲が広がり、晴れのよい天気。気温は既に25度を超えているようでした。さっそくシャツの袖をまくりあげて会場へ向かいます。

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(山車まつり会場 さくら会場入り口と集結した山車)

山車まつりの会場はJR武豊線・半田駅前から延びる通称平和通りと呼ばれる広い道路と、市役所近くの「さくら会場」と呼ばれる広場がメイン会場になります。午前中は平和通りに31台の山車が置かれ、観光客の自由な観覧を呼んでいました。

半田市の平和通りは松本の駅前通りの倍ほどもある広い通りです。駅前からメイン会場まで車両乗り入れを禁止し、レーンの半分に山車を並べ、反対側には高見世が軒を連ねます。その間は歩行者天国ですが、いかんせん人が多い。思うように前に進めません。

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(平和通りを曳かれる山車)

昼食まではできるだけ団体行動しましょう、と申し合わせていたのですが、それどころではありません。あっという間に散り散りになってしまい、誰が何処にいるのやら。事務局・添乗員としては不安ですが、あとは彼らの食事本能が何としても自らを昼食処へいざない、無事集結することを祈るしかないと諦め、私は見たい山車を観ることにしました。

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(平和通りに並ぶ半田の山車 神道まつりに舞台が大名町に並ぶのと似た感じ)

半田の舞台31台と一口に言いますが、桑名の石取祭りなどと違い、普段は一つの祭礼に全部出て来るわけではありません。半田はすべて春祭りで、亀崎、乙川、成岩といった各地区の祭に2~5台ずつで曳かれます。それが一気に31台整列するというのは本当に壮観です。しかも山車はスタイルが揃っているので、実に整然としています。

知多型の山車、殊に半田市内のそれは山車のサイズ・形態が実に均一化されています。屋根や宮形の形状、台輪と車輪の付き方、彫刻の飾り方など、まるで同じ設計図で造られているかのようです。しかも例外はあるものの、山車は基本素木(しらき)で、左右と後ろは赤い幕で覆われますから、素人目には同じ山車が何十台も並んでいるように見えます。

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(さくら会場に並ぶ半田の山車)

どうしてここまで均質化したのか、私には解りません。ただ、この形が知多型山車として完成された形であることは解ります。

中京地方は山車が多く、地区によっても名古屋型、三河型など各地区独自のスタイルが築かれています。或はそうした各地ごとの競い合いの中、地域の個性が凝縮昇華して独自の形が作り上げられ、その完成形として均質化していったのではないでしょうか。

いずれにしても姿形が一台ごとまちまちで、これが基本形、と定める事もできない信州・深志舞台とは随分な違いで、良し悪しを言っても仕方ありませんが、この辺は文化と気質の違いということなのでしょうか。

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(深志神社境内に並んだ深志舞台)

この均質化は、山車彫刻についても言えます。知多型の山車は壇箱という彫刻の飾りスペース(ギャラリー)を持つのが特徴で、この壇箱を中心として宮形の向拝部や脇障子、勾欄下や蹴込などに実に多くの彫刻を飾りますが、テーマは違ってもその構成はほとんど統一されており、均質化されています。

その祖形を完成させたのは立川和四郎・富昌で、文政9年(1826)亀崎の中切組力神車の制作により、知多型山車の現代に及ぶ形が定まったと言われます。富昌は弟子の常蔵昌敬や息子の富重らと共に、幾つもの山車を手掛けました。現在半田には8台の立川彫刻を載せた山車があります。これほど多く立川の山車を保有するところは他にありません。

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(亀崎の力神車とその壇箱彫刻)

(力神車はやや古いタイプなので、各所が漆塗りで仕上げられています)

しかし、半田の山車彫刻で圧倒的な勢力を誇るのは、通称「彫常(ほりつね)」と称される新美常次郎(1876~1956)の彫刻です。

彫常・新美常次郎は明治9年、半田の船大工の倅として生まれました。桶屋の倅と生まれた初代和四郎・富棟に少し似ています。彫刻師を志して名古屋の名工「彫長・早瀬長兵衛」に弟子入りし、社寺彫刻師として腕を磨き、後に独立して故郷半田で社寺や山車の彫刻を精力的に手掛けます。明治の末から大正・昭和初期にかけて、殊に山車彫刻の制作には凄まじいものがあります。

調べたところ半田の山車31台中、彫常の彫刻が載らないものは1台のみでした。30台は彫常彫刻を積載しています。例外の1台とは亀崎の田中組神楽車ですが、立川彫刻が中心の亀崎の山車も、他4台はどこかに彫常の仕事があります。

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(彫常の脇障子彫刻)

しかも、半田の山車彫刻の華である「壇箱」を彫常が手掛けているものが17台。また、これも花形彫刻である「脇障子」に彫刻を入れたものは19台。存在感は立川に一歩譲りますが、半田の山車31台が並ぶと、ほとんど彫常一色の感もあります。

数も多いが彫常の彫刻はどれも見事なものです。彫長仕込みのリアルな彫刻術の上に、立川の影響を受け、特に半田に多い富昌や昌敬の作品には多くの刺激を受けていたのでしょう。ダイナミックでしかも細緻な表現が得意です。人物彫刻は見事で、人体の形成もしっかりしています。

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(下半田・中組祝鳩車とその彫刻「天之岩戸」彫常作)

下半田・中組の祝鳩車が眼の前にありました。この山車は大正3年(1914)に建造され、彫刻はすべて彫常が入れています。壇箱は「天之岩戸(アメノイワト)」です。右手には注連縄を広げて構える布刀玉命(フトダマノミコト)、奥には岩戸を開けようと腰を落として身構える天手力雄命(アメノ タヂカラヲノミコト)、祝詞を宣る天兒屋命(アメノ コヤネノミコト)、鬨を告げる鶏もいます。そして中央には壇箱から飛び出すかのように、天鈿女命(アメノ ウズメノミコト)が跳ねるようなポーズで激しく踊ります。

乳も露わに憑かれたように踊る天鈿女は、素晴らしくダイナミックで従来の日本画や彫塑にはなかったものです。西洋画か彫刻にはこんなポーズがあったような気がしますが、さて何だったでしょうか。たぶん「サロメ」でしょうか。

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(祝鳩車の天鈿女 ダイナミックでしかもエロチック)

ちなみに、天の岩戸は日本で最初の「まつり」とされます。

天の岩戸はご承知のとおり、岩屋戸の中に隠れてしまった太陽神・天照皇大神(アマテラスオホミカミ)を呼び戻すため、神々が趣向を凝らしてパーティーを催す話ですが、神社で行う祭の要素はすべてこの中にあり、或いは天の岩戸をなぞり再現することが、神社神道の「まつり」であるとも言えます。少し平たく言えば、祭りとは神様の前に宴を張ることで、岩戸(神社)の奥に鎮まっている神様に、いろいろ楽しいことをして此方の世界に出てきてもらうことです。天鈿女は宴を盛り上げるトップダンサーといったところでしょう。(そのダンサーの演じるのがストリップとは、神話の世界はズ抜けています)

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(岩滑新田・奥組旭車の「天の岩戸」彫常作)

この天の岩戸の場面は数多い彫常の作品の中でも最優作とされます。本人も納得し、きっと評判も良かったのでしょう。祝鳩車に続いて、同じ半田の岩滑新田・奥組旭車(大正5年・1916)と、さらに板山・大湯組花王車(昭和2年・1927)にも全く同じ場面を彫っています。ただ、祝鳩車の鈿女の姿はあまりにも生々しく刺激が強かったからでしょうか、あと2台の鈿女は肉体表現をだいぶ抑えています。…少々残念です。

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(板山・大湯組花王車とその壇箱彫刻の天鈿女命)

彫常は彫刻の題材に日本神話や太平記の説話を多く用いました。他にも「神功皇后」「神武東征」「楠公父子櫻井の別れ」、中には「元寇」なんてのもあります。時代のエートスはここに有ったのでしょう。

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(岩滑新田・平井組神明車の壇箱「神武東征」大正7年・彫常作)

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(協和・西組協和車の壇箱「楠公父子櫻井の別れ」大正13年・彫常作)

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(成岩・北村成車の壇箱「元寇」大正13年・彫常作)

また三国志や史記に取材した中国ものもあります。「鴻門の会」「桃園の誓い」など。この世界は江戸時代から現代まで引き続いて人気があります。題材は内外に及びますが、どれをとってもストーリーがあって歴史的情念に満ち、緊張感溢れる場面を切り取った劇的な表現の世界です。現代の劇画の世界にも通じるように思います。

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(協和・砂子組白山車の壇箱「鴻門の会」大正3年・彫常作)

少し遅れて昼食会場に辿りついてみると、既に大半の参加者が到着し、事務局に遠慮なくビールを頼んで食事が始まっていました。やはり心配したことはありません。全員集合を確認してから私も一杯いただき、1時間ほどかけてゆっくりと食事をしました。(個人的には屋台の焼き物でも頬張りながら山車を観ていたいのですが、みんな食事が楽しみなので仕方がありません)

午後は山車が平和通りを移動し、市役所近くの「さくら会場」という広い公園に31台が横一線に集結します。人の波に押されるように会場にはいると、人、人、人。海原のように人の波が重なり、その中に31台の山車が解纜を待つ船のように浮かんでいます。所定の位置に進む山車は、本当に人波の中を渡る船のようです。

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(さくら会場に集結した山車の後ろ姿 追幕と吹貫頭が空に映えてきれいです)

「なるほど、たしかにこれは船、フロートだ。」

これも今回初めて知りましたが、「山車」の英訳は’float’(浮き)だそうです。「はんだ山車まつり」は’Handa Float Festival’。

なぜフロート(浮き)なんだ?と疑問に思いますが、なんとなくニュアンスは感じます。そういえば外国のカーニバルで曳かれる造り物も、フロートと呼ばれていたでしょうか。

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(さくら会場 集結した31台の半田の山車と人の海)

ウロコ雲の広がる秋空の下、私も波頭のひとつになって、呆けたように山車船の連なる前海に漂っていました。

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