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舞台保存会だより69 雨の髙山まつり

2013年11月23日

雨の高山まつり

 

10月9日、舞台保存会の第2回研修旅行「秋の高山まつり」視察ツアーが開催されました。今年も松本市のバスをお願いし、保存会会員と舞台関係者ほか総勢22名のツアーとなりました。

高山まつりは春と秋にありますが祭礼日が決まっており、秋は10月9日10日に開催されます。どちらの日にしようか迷いましたが、市のバスの都合で9日に催行と、これは春の総会の時から決まっていました。

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(研修旅行に使った松本市のバス 信州まつもと号)

ところが今年は台風の当たり年です。宛もこの日を狙ったように台風24号が8日に玄海灘を越え、日本列島に沿って9日は日本海輪島沖に接近してきました。高山の屋台は雨が一粒でも降れば出場しない決まりになっています。まして台風の風雨迫る中、美術工芸品のような屋台を曝すわけがありません。出発前から残念な結果は分っていましたが、延期するわけにもゆかず、朝7時半、黒雲のかかる西山に向けて出発しました。

雨は稲核あたりから落ち始め、高山市街に入ると完全に雨でした。諦めがつきます。

駐車場の高山別院に到着すると、全員が傘を差して降りました。雨の高山まつりです。

高山別院には飛騨高山の案内人・長瀬公昭さんが待っていました。

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(櫻山八幡宮の表参道 本来ならここで「屋台曳き揃え」が見られたはずですが…)

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(長瀬公昭さん)

長瀬公昭さんは比較的最近に面識を得た私の知人です。どういう人か一口で紹介するのは難しいのですが、なんというのか飛騨を愛する高山の妖精のような人です。

職業は商店主で、上一之町の「長瀬久兵衛商肆」という老舗の豆菓子屋を経営しています。しかし普段は、店にはほとんどいたことがないとか。店の商売はほとんど奥さんや家族に任せて、社会活動や飛騨の歴史研究・民俗研究に飛び回っているようです。

一方で日枝雅楽会に所属して春の高山まつりである山王祭に奉仕し、またミュージシャンを自称していますからサックスかなんかを吹いてコンサート活動も行っている模様。さらに地方FMに「飛騨の歴史再発見!」という番組を持ち、ディスクジョッキーを兼ねて飛騨の民俗文化の紹介をしています。この番組は毎週放送し、近ごろ300回を超えました。内容は飛騨の匠のこととか、民俗・習俗、また歴史文化にかかわる話が専らで、飛騨の百科全書といったものです。

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(案内・解説してくれる長瀬さん)

そうした話を仕込んで300も連ねる長瀬さんには脱帽ですが、そんな番組を任せて6年も続けさせる飛騨のFM局と聴者にも感心させられます。地域愛の強い土地柄なのでしょう。

今回も事前に高山まつりを観光の旨伝えると、「午前中は体が空いていますから、ご案内しましょう。」と言って、進んでガイドを買って出てくれました。

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(櫻山八幡宮 中では例祭に神事が行われていました)

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(八幡宮前の石段で参加者一行記念撮影)

長瀬さんの案内で一行はまず櫻山八幡宮に向かいました。秋の高山祭は櫻山八幡宮の例祭・祭礼です。社頭で参拝を済ませると、屋台会館で館内に展示されている屋台を見学しました。本来ならば祭りの間は閉館ですが、雨天で屋台の出場が中止となると屋台会館は開館し、ここで何台かの屋台を見ることができます。一基の神輿と4台の屋台が展示されていました。

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(屋台会館内部 屋台展示風景)

舞台保存会御一行は説明を聴きながら固まって動いてゆきます。長瀬さんは一台ずつ屋台の特徴や見どころを抑えるのは勿論ながら、その歴史や屋台が成立した文化的背景まで語ってくれます。その解説は極めて適切なもので、相手によって興味の中心を嗅ぎ分けることができるのでしょう。多少専門的な部分に亘っても、関心を離しません。

例えば屋台行事を支える町民の負担方法について。その割り方が間口の間数割(巾割)と、商売の有無で、というような解説を聞くと、さすが保存会の皆さん、松本の商家の面々ですから「おう、なるほど!」と、頷きながら納得頻りでした。

あまりに説明が堂に入っているためか、参加者の一人が私に訊きます。

「あの人は高山の市役所の人かい?」

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(案内をする長瀬さん 事務服風のジャケットが確かに市役所風です)

長瀬さんは高山にとって市民コンシェルジュと称すべき方ですが、あくまで自発的なもので役人ではありません。飛騨の文化の研究家であり、殊に飛騨の匠について深く掘り下げ研究をしています。私と知り合ったのも三枝伊兵衛(ミエダ イヘイ)という匠の調査のためでした。

三枝伊兵衛は飛騨匠の名門・坂下家に連なる匠で、明治時代に高山町役場など多くの公共建築・社寺建築に携わっています。それが大正の初めに天災に見舞われて経営する建設会社が倒産。高山では仕事ができなくなったのでしょう、松本に移って仕事をすることになりました。飛騨匠のブランドは高く、直に幾つかの社寺建築を請負います。寿の小池神社拝殿や四賀の保福寺本堂を建造。他にも幾つかの神社と舞台数台を手掛けているようです。

その後伊兵衛は松本周辺で飛騨の匠として活動し、昭和3年に松本で亡くなっています。

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(松本市寿の小池神社 松原団地の下の方にあるお宮です)

長瀬さんによれば江戸時代の飛騨の匠には「番匠規定書」という定めがあり、その中で他国の職人を使ってはならない、という条が有って、やや閉鎖的な技術者集団を形成していたそうです。それが明治を迎え、その6年に高山県が廃されて筑摩県が成立すると、松本から何人かの匠が番匠規定書の規定を逆に利用して、高山で近代建築の仕事をするようになった。そこで飛騨と信州の匠の交流が行われるようになったといいます。

どうもこれを契機に、多くの飛騨の匠が松本地方にやってきて仕事をしたらしい。それが三枝伊兵衛であり、その前に山口権之正があり、また清水の山田棟梁のご先祖なのでしょう。

長瀬さんはこの匠たちの交流史に強い関心を抱いており、他国に移っていって飛騨の匠の系列から消えていった匠たち、また他国から来たために飛騨の匠として評価をされず、埋れている匠たちをあらためて執り上げ、その業績を明らかにして顕彰したい、というのが研究の望みだそうです。

一年半ほど前、私は寿の小池神社に案内しました。長瀬さんは感慨深げに神社拝殿を眺め、写真を何枚も撮りました。私も以前山口権之正の仕事を追ったことがありますから、その心境は幾らか解ります。長瀬さんがなぜ特に三枝伊兵衛を追うのかは知りませんが、100年も前、事情あって故郷を離れた匠が、この松本の地で立派な仕事を残していた。その仕事を前にすれば、やはり感慨一入なのだと思います。

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(寿の小池神社の拝殿を見上げる長瀬さん)

屋台会館の見学を終え、町に出ました。相変わらず雨が降り続いています。晴れならば屋台が曳き揃えられて人ごみに沸いているはずの表参道を、傘を差して足元を気にしながら歩くのは、やはり残念な気分です。その代り幾つかの町が、観光客への観覧に供するため屋台蔵の扉を開いてくれていました。

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(鳳凰台とその屋台蔵 前にいる番の人たちは舞台保存会員から質問攻めに遭います)

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(豪華な鳳凰台の装飾と下層部の彫刻)

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(保存会員の質問で屋台の回転の仕方を実演してみせる)

高山の町で感心するのは、各町が必ず町の表通りに屋台蔵を造り、街並みの中に屋台蔵を置いて、常に見守っていることです。山車まつりのある町では、深志舞台のように多くの町会が舞台庫を神社境内に集めてしまっているようなところもありますが、ふつうはそれぞれ自分の町内に置きます。それでも表通りに山車蔵あることは少ないように思います。表通りは商売をする場所で、土蔵や蔵は奥の方。常識的に考えても、一年の内せいぜい数日しか活動しない屋台や山車の収納庫を、表のスペースに置くのは効率的ではありません。

しかし、高山では街並みの中にあります。或いは町の構造上裏に持っていきにくいということもあるのかも知れませんが、やはり屋台が町の中心なのでしょう。町の象徴として、心の拠りどころとして、屋台蔵は町の誰の目にもとまる表通りに置かれているのだと思います。

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(神馬台とその屋台蔵)

高山屋台の素晴らしさは言うまでもありませんが、屋台蔵もなるほどと感心する代物です。聞けばその建設費用も甚大で驚きましたが(はっきり言って深志舞台自体より高価!)長瀬さんの話では屋台蔵の建造に3年かかるとのこと。大工仕事に一年、塗りで一年、塗りを乾かして調整するのに一年、というような話でしたか。

確かに昔の蔵は年数を掛けて造っていましたが、そのような本格的な蔵造なのでしょう。いかに町の宝物とは云え、そのような屋台蔵を造って漸く一人前とは、高山の屋台文化の深さと、屋台に対する思いの強さに感服します。匠の国と自認するだけのことはあります。

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(鳩峰車とその屋台蔵)(仙人台の屋台蔵 屋台は会館に行っている)

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(雨が小やみになって 高山の町を徘徊する保存会員たち)

深志舞台の軽量ブロック積み工法・長屋式舞台庫の姿が脳裏を過ぎりました。雨露を凌いで置いておければいい、という箱です。思わず気恥ずかしくなります。

屋台蔵を見つめながら、高山屋台と深志舞台の差は、やはり屋台・舞台に対する思い入れ、愛情の差なのだろうな、と思いました。

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