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舞台保存会だより81 秩父夜祭と山雅J1昇格パレード

2014年12月23日

秩父夜祭と山雅J1昇格パレード

例年12月は舞台にとってシーズンオフで、保存会も忘年会だけが楽しみなのですが、今年は月初に大きな行事が二つ続きました。表題のとおり『秩父夜祭』への研修旅行と、松本山雅FCがJリーグ・ディビジョン1に昇格を果たしたため、その祝賀パレードが行われ、舞台が出場したことです。どちらも舞台保存会にとって、特別な事業となりました。

「秩父夜祭」観覧は今期当初からの計画事業で、一昨年の「はんだ山車まつり」昨年の「秋の高山まつり」に続く山車まつり見学ツアーです。これまでの研修旅行は昼の祭りを観る日帰りツアーでしたが、秩父はその名のとおり「夜祭り」です。夜祭りを見て弾丸バスで朝帰り、というのもしんどい話ですから一泊二日の研修旅行となりました。保存会で宿泊旅行は初めてです。

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(三峰神社 秩父山中に現れる極彩色社殿はまさに別世界です)

12月3日朝、例によって松本市のバスで伊勢町Мウイング前から出発。中央道から甲武国境の雁坂峠を越え、埼玉県秩父市を目指します。最初の目的地である「三峰神社」に到着したのは、ちょうど昼頃でした。

三峰神社は標高1102メートル。雲取、白岩、妙法ヶ岳に峰を連ねる山巓の霊場です。当日は天が抜けたような快晴で、甲武信ヶ岳をはじめ秩父山地の山なみが手に獲るように見渡せます。東へ下る尾根の先に眼を遣ると、山間にこれから行く秩父の町が見渡せました。秩父は信州と同じ盆地の山国です。

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(神楽殿と境内末社)

秩父市は人口7万人弱とのこと。大きな町ではありません。その町に祭りの夜は20万の観客が押し寄せるといいます。関東とは云え、僻遠の盆地でこの数は尋常ではありません。

秩父夜祭は、秩父神社例大祭の奉納行事の通称で、例祭自体は12月2日3日に行われます。夜祭りということは普通ならば宵祭りで、2日の夜と思うのですが、秩父まつりは例祭の神事が終わった3日の夕刻からが本番になります。

夕闇の落ちた午後6時過ぎ、神社から神輿が出御し、続いて6台の山車(4台が屋台、2台が笠鉾と呼ばれるそうです)が、御旅所を目指します。途上、冬の夜空に花火が打ち上げられ、地上の山車と綺羅を競うかのよう。御旅所に山車が集結するのはすでに夜半で、神事の後、御旅所を後にするのは日付が替ってから。山車が収蔵庫に戻って解散となるのは朝方といいます。まさに夜祭りです。

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(秩父駅前にて これは上町屋台です)

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(ギリ廻しで方向転換をしている 中町屋台)

松本深志舞台保存会様ご一行は早めに宿に入り、夕食も急ぎ済ませて、6時過ぎに秩父の町に出ましたが、町はすでに露店と人波で埋まっていました。大変な人出です。人垣に入ると身動きがとれません。その人の波の向こうから巨大な山車がゆっくりと近づいてきます。秩父の山車は本当に大きく、その動きも巨象のようでした。

資料によれば秩父の山車は高さ6m前後、重量は十数トン。最も大きなものは高さ7m、重さ20tに及ぶといいます。ほとんど信じがたい数字です。

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(総重量20トンといわれる下郷笠鉾)

深志舞台で最も重いとされる博労町舞台が、高さ5m強で、重量は4tとか5tとか言っていますから、同じ山車とは云っても乗用車と戦車ぐらいの違いがあると言えそうです。曳手は一台200人とか。(深志舞台は平均20人ぐらいでしょうか)それでも交差点での方向転換は人の力だけではどうにもならないようで、いったん梃棒で車体を斜めに持ち上げ、山車の中心にジャッキを咬ませて廻す「ギリ廻し」という手法で廻していました。何処の山車まつりでも辻廻しは見せ場ですが、ここまでしないと廻らないのかと思うと、なんだか傷ましい気持ちにもなります。ブラキオサウルスのような巨大恐竜の姿が山車に重なりました。

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(秩父の町を行く中町屋台)

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(秩父鉄道の踏切を渡る中近笠鉾 架線はこのために一時外されている)

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(花火)

秩父夜祭の最大の見せ場は、その20tもある山車が坂を上る、御旅所手前の急登「団子坂」での曳き上げです。人波を別けながら坂近くに辿り着きましたが、すでに山のように人が犇めいて団子坂には近寄ることもできません。後ろからも人が寄せて来て動けなくなります。隣は御旅所の特別観覧席で、羨ましいけど入ることはできません。御旅所から響いてくる囃子太鼓の音を聞きながら、群衆の頭越しに打ち上がる花火を眺めていました。

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(翌日(4日)、解体作業に入る前の本町(モトマチ)屋台)

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(秩父神社前で記念写真)

翌日、研修旅行は長瀞から川越を巡って帰途に就きました。川越では『川越まつり会館』を見学しましたので、大きな山車まつりを一度に二つ見学したようなものです。

午後6時過ぎ、無事に松本に帰着しほっとしました。

それにしても保存会事務局・兼ツアーコンダクター・兼添乗員は疲れます。山車まつりツアー、来年はお休みにしてもいいでしょうか…。

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(川越の町はずれ(川越城址)にある三芳野神社 「とうりゃんせ」のお宮)

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(鳥居と参道 ではこれがその「細道」でしょうか?)

さて、研修旅行を終えて松本に戻ると、間を措かず松本山雅FCのJ1昇格祝賀パレードが待っていました。松本山雅がJ1に昇格したのを祝って、市内パレードをするのですが、松本らしさを出したいということで、舞台が出場することになったのです。それも選手を乗せて…。

かねてから「信州まつもと大歌舞伎」の登城行列では舞台が先導し、松本らしくお練りを演出してきましたが、役者さんが舞台に乗ったことはありませんでした。乗ってくれてもいいのですが、主催者側で役者さんに「もしものことがあったら」と心配して、敢て乗りません。それが今回はオープンバスの代わりに選手を舞台に乗せてパレードしたいということで、松本山雅FC関係者から打診があったのは11月の初めでした。

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(12月7日朝、山雅サポーターとともに舞台を曳き出す)

さっそく保存会の役員会を開いて検討しましたが、やったことのないことには二の足を踏むのか、役員の皆さんやたらと否定的なことを言います。

「舞台は二階に大人が乗るようには出来ていない」とか、「二階への昇り口が小さくて上がれない」とか。「人形があるから無理だ」という言い訳も出て、皆さんせっかくの祝賀パレードに出たくないのかな?と、首を傾げました。

実際、各町内には、『舞台というものは深志神社の祭りに出すものだから、祭礼以外の出場なぞすべきでない。』という正論を言われる方が必ず一人はいて、ましてサッカー選手が二階に乗るなどと言えば、町会長といえど一存で出場を決められないのです。

結局、舞台を出す出さないは各町会の事情・判断に依る、として、舞台町内の自主的な参加の任せるということになりました。難しいところは出さなければいいし、全舞台出場されても困ります。6,7台出てくれればいいかな、と思いました。

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(本町に向かう舞台 今回出場することになったのは

博労町、本町1、2、3、中町3、小池町、飯田町1、2、伊勢町2、の9舞台です)

結局9台の舞台が出場することになりました。

『うちは人形が載ってるけど、出ても大丈夫かね。』などと問い合わせてくる町会もあって、やはり出たかったのだと思います。乗車する選手・コーチは36名で、一台宛4人ずつ振り分けられます。今年2度目の登城行列が、冬の本町・大名町を邁くことになりました。

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(本町、松本郵便局前に整列し出発を待つ舞台)

12月7日、小雪が舞う寒い朝でした。前日にはこの冬最初の寒波が到来し、松本でも5㎝ほどの積雪を記録しています。しかし天気は徐々に回復し、冬の松本らしい快晴となりました。

午前10時、本町・松本郵便局前に博労町舞台を先頭に9台の深志舞台が到着し、2列に並びました。二階勾欄部分には選手のネームプレートも掲げられています。

10時半、選手を乗せていよいよ出発。松本マーチングバンドに先導され、監督・コーチの乗るオープンカーに続いて舞台の車列が進みます。街中には主催者発表で5万人という観衆が集まっていました。

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(Ⓒ松本山雅FC)

(松本山雅FC J1昇格祝賀 登城パレード出発)

松本深志舞台は、秩父の山車などに較べると明らかに小柄で、一台ごとの迫力は及びもつきません。しかし台数はありますから、纏まるとこれはまた別の迫力があります。今回も9台の舞台が軒を連ね、選手を乗せ群衆を別けて進む姿には、あらためて感動しました。

また、舞台は高さが極めて適当で、2階で手を振る選手たちの顔がとてもよく見えます。選手たちからも集まった人たちがよく見えたことでしょう。選手を呼ぶ声と、手を振る選手の視線が合っています。山雅サポーターが曳き手となり舞台の動きもまず軽快で、パレードの進行を妨げることもありません。秩父の山車ではこうはいかないでしょう。

舞台による祝賀パレードは、とても豪華でお洒落で、しかも個性的な行事になったと思います。『松本らしさ』は十分に表現できたのではないでしょうか。そして、多くの人々に松本の舞台の素晴らしさをアピールすることができたのではないかと思います。

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(登城パレード風景) (観衆に手を振る選手たち)

松本市民にはよく知られているとおり、松本山雅FCは地元のサッカー愛好家が立ち上げた同好会的クラブチームで、スポンサーもなく純然たる地域クラブとして誕生しました。来年で結成50年を迎えるそうです。

しかし、多くの市民がその名を知るようになったのは、ここ10年程のことでしょう。確か青年会議所が主体となって松本にJクラブを育てようという活動が起こり、漸く松本山雅の名前が浸透し始めました。記憶では当時、地域リーグの1部と2部を行き来する弱小チームだったと思います。人口24万人の地方都市クラブには、相応しいポジションかも知れません。

ところが、JFLも憧れだった小クラブが、ほとんど離れ業的にJFL、J2を駆け上がり、あれよあれよと言う間に日本サッカーの最高峰であるJ1に昇格を果たすとは、未だに信じ難い気分です。

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(松本城公園でのJ1昇格報告会風景)

昇格報告会の中で偉い方が『松本市民の長年の悲願であったJ1昇格を果たし…』と挨拶していましたが、J1は「夢」であっても「悲願」だったことはありません。悲願となる前に夢が成就してしまい、びっくり、というのが大方の市民の感想ではないでしょうか。

JFL(J3)やJ2には、リーグ発足以来そのカテゴリーを守り続ける律儀なクラブがいくつもありますが、その点、松本山雅などは甚だ無礼なチームだと思います。

この躍進を支えた原動力が何であったのか、専門的なことは分りませんが、松本市民の熱が一助となったことは間違いないでしょう。たいへんな盛り上がりです。それにしても何時の間にこれほどサッカーファンが増えたのでしょうか?10年前には松本でサッカーファンなど、ほとんど変り者の一類でしたが…。

クラシック音楽や歌舞伎に加えて、松本市民はまた新しい遊びを見つけた、ということでしょう。

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(Ⓒ松本山雅FC)

(登城パレードで 舞台曳行風景)

その昇格祝いに、舞台が出場して華を添えられたことは、深志舞台にとっても光栄なことです。

登城パレードの後のインタビューで田中選手が、

『次はJ1で優勝して、もう一度このパレードをやりたい。』と答えていました。あながち夢ではないのかも知れません。夢と思っているうちに実現してしまうチームですから…。

もしもJ1で優勝の暁には、松本深志舞台保存会としては全舞台(18台)出場して、倍のパワーで祝賀パレードを盛り上げたいと思っています。

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(Ⓒ松本山雅FC)

(松本城公園で みんなでお城に向って『One Soul!』)

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