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舞台保存会だより86 小県の立川流建築探訪記

2015年5月26日

小県の立川流建築探訪記

上田小県地域は信州の中でも歴史が古く、古代には国府が置かれ国分寺も建てられた信濃の中心地でした。中世には北条氏が領知して武家文化を入れ、小鎌倉などと称されました。殊に塩田平は古刹名刹を首飾りのように連ねて、数ある堂塔は馥郁たる中世仏教文化を今に伝えています。

そうした古い歴史とはあまり関係ないと思うのですが、小県には立川流の建築・彫刻が多く存在します。江戸後期、近世の社寺建築群です。県内では諏訪に次いで立川流の色濃い地域と言えるでしょう。一度その主なものを訪ねてみたいと思っていました。

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(東昌寺 山門と本堂 とても立派なお堂です)

数年前ですが上田市浦野の東昌寺を訪ねたことがあります。すぐ隣は見返りの塔で有名な青木村の大法寺です。東昌寺には塔はありませんが、宮坂昌敬の手になる鐘楼があり、上小地区を代表する立川建築として夙に有名です。(文政6年(1823)或いは天保12年(1841)建造)

大法寺もそうですが、東昌寺はかなり険しい山の斜面に建っています。建造には資材の運搬だけでも相当の労力を要したことでしょう。立派な山門をくぐって急な石段を上って行くと、巨大な本堂が山を背にして建ち、その前庭の先端に見上げる様な鐘楼が聳えていました。力強く美しい姿です。下から見上げると、楼部に多くの彫刻が施されています。

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(東昌時の鐘楼 山門付近からと本堂前庭から)

住職と思しき人に許可をいただいて楼に上ると、虹梁の上の四周を竜の彫刻と木鼻に獅子・象の彫刻が廻っていました。回廊に立つと目の前に彫刻が迫ります。もの凄い迫力。普通このような彫刻は社寺建築の中で向拝部の虹梁上や木鼻に飾られ、手を翳して遥かに見上げるものですが、眼前に来ると本当に圧倒されます。

恥ずかしい話ですが、竜の彫刻の近くでは恐怖心を覚えました。特に竜顔や爪の前に立つと襲われるのではないかという強い危機感に囚われます。それが木彫の200年も前に彫られた作り物だと理性では解っていても、もしや突如この竜が動き出し、鋭い爪に引き裂かれ、喰いちぎられるかも知れない、という妄念と恐怖を振り払うことができないのです。それほどこの竜は迫真力に溢れていました。

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(東昌寺鐘楼 虹梁上の彫刻 竜)

左甚五郎の名人譚に、彫った竜や力神が逃げ出して…云々、というお伽噺のような伝説がありますが、それは決して空想的説話ではありません。彫刻に接した人が捉えられた全くリアルな物語です。この竜を見るとそのことがよく解ります。

恐怖心と闘いながらやっと写真を撮りつつ、これが宮坂昌敬か、と感嘆しました。

宮坂昌敬は立川富棟の娘婿の子で、富昌の右腕となって立川を支えた大棟梁です。富昌の甥ということになるのでしょうか。彫刻は名人揃いの立川の中でも最高のテクニシャンで、和四郎富昌作とされる彫刻にも、実際刀を執ったのは昌敬と思われるものが多いようです。技術もさることながら、この鐘楼彫刻を見れば入神の彫であることが判ります。こういう作こそ真のリアリズムというべきでしょう。

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(東昌寺鐘楼 木鼻の獅子と象の彫刻)

また、彼は富棟・富昌の名声で活動範囲の広がった立川にあって、主に東海地区の事業に携わりました。その分、県内では目立った仕事がありません。

この東昌寺鐘楼の建築は、県内における数少ない宮坂昌敬の作品として貴重ですし、代表作と言ってもよいでしょう。なぜ彼が信州の中でこの東昌寺にだけ作を残したのか、理由は分りませんが、何か個人的な強い引きがあったのでしょう。いずれにせよ上田で宮坂昌敬の大作を目の当りにできるのは幸いなことです。

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(東昌寺鐘楼の鐘 なんと作者は香取秀真です)

回廊を廻り終えて、あらためて周りの景色を眺めると、南に塩田平から、さらに丸子、依田窪方面の沃野が乾坤の如くに広がっていました。山の中腹だけに見事な眺望です。この眺めを得たくて築かれたこの鐘楼なのだろうか、と感じました。

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(鐘楼からの眺め 手前の広がりは塩田平です)

先月の10日、その丸子、依田窪方面の神社を数社訪ねました。立川富昌や富重、またその弟子が築いたとされる神社が多く分布しています。

神社は寺と違ってサンクチュアリの性格が強いので、普段は簡単に本殿に近づくことはできません。そこで3人の神主さんにお願いして案内を頼みました。それぞれの神社の宮司さん禰宜さんです。3人とも若い神主さんですが、快く応じてくださり、更に自分も他の立川流神社を見たいから、と言って最後まで同行してくれました。

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(立川ツアーに同行し案内くれた神主さんと総代さん 古井神社前で)

最初に訪れたのは旧丸子町にある古井神社(仮称)でした。ここは立川富昌の手になる素晴らしい彫刻が施された本殿が有名で、かねがね拝見することを願っていました。

古井神社は依田川沿いの丘の斜面に建ち、川を挟んで反対側に広がる丸子の町を見下ろすように鎮座しています。周囲は丸子町の市民公園として整備されているようでした。川沿いには桜並木が五分ほどに綻んでいました。

宮司さんは総代さんを伴って来てくれました。やはり神社の鍵は総代さんが管理しているようです。拝殿正面に近づくと向拝部に派手な竜と獅子の彫刻が迎えています。

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(古井神社正面向拝部の彫刻)

『これは、しかし…、違うな。』

向拝の彫刻はサイズも大きく気合の入った感じで、力作と見えます。でも立川の彫ではありません。もし「これがそうです。」と紹介されたらどうしようかと、少しヒヤヒヤしましたが、さすがにそれはなく、拝殿の中を通り抜けてその先の本殿に案内されました。奥にはアクリル板で光を取り入れた明るい蔽い屋の中に御本殿が鎮まっていました。

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(古井神社御本殿 蔽い屋に囲われ引きもないので、こんな写真しか撮れません)

古井神社の御本殿(嘉永5年(1852)建造)は凛とした気配が漂い、多くの彫刻に飾られた見事なもので、神々しいと言いたいほどでした。(神社が神々しいのは当然ですが…)彫刻は間違いなく立川流で、伝承どおり立川富昌の作でしょう。向拝虹梁上は鶴に乗り書を読む仙人、たぶん費長房でしょう。木鼻は獅子と象、海老虹梁が竜で、一目見て立川の彫と分かる気品と迫力があります。彫刻は多くてもごてごてと過剰な印象はなく、寧ろシンプルに感じます。全体に強い緊張感が漂い、暫くは感嘆の溜息しか出ませんでした。

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(古井神社本殿 向拝部の彫刻)

立川の彫刻には、ほんとうに一種独特の緊張感があります。それは鋭い刃物で削ぎ取ったようなキレの感覚というのか、強く引き絞った弓のような張り詰めた感じです。言葉では表現し難いのですが、その独特の緊張感を覚えると、もう他の彫刻と見誤ることはありません。そして、その迫真の彫刻美の世界に獲り込まれてしまいます。

江戸時代以来の彫塑の世界には立川ばかりでなく、近くは北陸の井波や名古屋など、それぞれの地域に優れたものがあります。しかし、その中でストイックなまでの緊張感の強さは立川流特有のものだと思います。何がそれを齎しているのか。想像ですが、そこには信州の、特に諏訪地方の自然の厳しさがあるように感じます。厳寒の信州の張りつめた空気、全面結氷した諏訪湖の姿、黎明に響くという御神渡りの音、そんな自然を感じるのですが些か付会でしょうか。

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(古井神社本殿の脇障子彫刻 手長足長)

古井神社本殿の彫刻で特に素晴らしかったのは、両側の脇障子に施された手長足長の彫刻でした。縦に細長い脇障子を使って二組の手足の長い怪人が彫られています。長臂と呼ばれる異常に腕の長い怪人と、長脚と云う身長の大半が脚という怪人が、ふたり組になって絡み合う、なんとも奇怪な画面です。立川富昌は特にこの手長足長図を愛好したようです。

すっきりと伸びた怪人の四肢が爽快です。微妙な表情で絡み合う手長足長の表情が何とも言えません。長い年月で浮き上がった木目が美しく、画面に一段の光彩を添えています。私がこれまで見た中で最も美しい手長足長でした。

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(手長足長)

それにしても手長足長とはいったい何者でしょう。どうしてこのような化け物が、神の住居に描かれるのでしょうか。

手長足長は、おそらく「山海経」に出典をもつ、異人、UMA(未確認動物)、或いは妖怪で、地の果てが知れなかった時代には、どこか極地に手長の国、足長の国があると信じられていました。吾が邦でも比較的古くから知られ、枕草子には、御所の襖に手長足長の絵が画いてあって夜は特に不気味だ、と云うくだりがありますから、平安時代には貴人の間で親しい存在だったようです。

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(「山海経挿図」の中にある手長足長図 「長臂国・長股国」と記され異国人である)

また、諏訪には諏訪明神の随従神として手長・足長の伝説があり、それぞれ神として神社に祀られています。(手長神社、足長神社)この諏訪の手長足長が山海経由来の異形人と関連するのか、或いは習合しているのか分りませんが、いずれにせよ彼らは諏訪神と強いつながりがあります。神社の脇障子にしばしば手長足長が描かれるのは、殊に祭神がお諏訪様であれば、十分に理由のあることと言えます。

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(「北斎漫画」に描かれる手長足長 立川彫刻の原画は明らかに北斎漫画にあります)

それにしても、このような奇怪でユーモラスな随神は守護者としてはどうなのでしょうか。竜や獅子のように邪なるものを威嚇排斥する力があるとは見えません。褌一丁で蟹のように手足を伸ばし、妙に絡み合う姿から伝わってくるのは諧謔的でシニカルな笑いだけです。

ナンセンスでグロテスクなUMA、異形嗜好、更に微妙なホモセクシュアル、それらの持つユーモアの力が神聖な神の室を守ると信じられたのでしょうか。

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※文中の神社名(古井神社)は、神社にご迷惑のかからぬよう仮称を用いております。

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