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舞台保存会だより100 「舞台調査図面集」刊行さる

2016年9月 1日

『舞台調査図面集』刊行さる

先月、当保存会による舞台修復事業の記録誌ともいえる『松本深志舞台調査図面集』が遂に完成しました。A4判、白上質紙、180ページ単色刷りのたいへん簡素な印刷物ですが、深志舞台の資料としては学術的価値のある、極めて貴重な冊子となったと考えております。無事に刊行することができ、実に感慨深いものがあります。

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(「松本深志舞台調査図面集」その表紙)

この「図面集」につきましては、数年前から舞台修理プロジェクトの早田さん、大蔵さんなどとその発行を目論んできました。舞台の修復にあたっては、信州大学土本研究室により調査図面を作成し、修理方針とともに舞台ごとの資料を積み重ねてきましたが、全舞台完了の暁にはこれらをまとめて、深志舞台全体の修理調査報告書を作りたい。そういう希望でした。

平成26年夏に宮村町1丁目舞台が修復を終え、その時点で14台の舞台の図面資料が出来上がっていました。しかし、この中には初期に修復が行われた舞台の図面は含まれておらず、すなわち博労町、本町3丁目、伊勢町1丁目の3台の舞台は未調査でした。土本研究室による舞台調査を基礎とした平成の舞台修復が始まったのは平成16年の飯田町1丁目舞台が最初でしたから、それ以前に修復を行った3台には図面取りもなされていなかったのです。

そこで昨年の春、土本研究室に依頼してこの3舞台の測量調査を願い、年末には図面が完成しました。12月にはその調査報告会も行われ、いよいよ舞台修理調査報告書の準備が整ったのです。

飯田町1丁目舞台 前方立面図飯田町1丁目舞台 左側立面図

(飯田町1丁目舞台の図面 「前方立面図」と「左側立面図」)

(平成16年1月に調査が行われ、作図された最初の図面)

しかし、調査図面集の刊行には、なお紆余曲折がありました。私個人としては宿願でもありましたから速やかに編集・印刷の方向にもっていきたかったのですが、保存会内には消極的な向きもあり、今さらそのようなものを製作する必要はなかろう、との意見が専らでした。

図面集は土本研究室からデータとして渡されていましたから、必要な人はそれをコピーすればよく、別に見て面白いものではなし、敢えて印刷冊子にする必要ないと云うのです。当然、印刷費も掛かります。

実際、図面集はそのほとんどが舞台の図面で、冊子となってもそれを読んで楽しめるというものではなく、必要性から考えれば確かにその通りかも知れません。しかし、PCの中でスクロールして見るのと、形ある本となったものを一枚一枚めくって見るのとでは、似て非なるものがあります。また、物の形にならなくては、なかなか成果の感も生じません。

そこで、たまたま昨年は舞台保存会創設20年に当たりましたので、その周年記念という位置付けと、平成の舞台修復事業の完成記念という二つの点から冊子の制作を提案し、体裁も最も簡素で、印刷部数も必要最小限とすることで、この図面集を作成する許可を得ました。

個人的には、これを作らなくては舞台修復は終わらないという思いでした。

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(本町3丁目舞台の調査 平成26年12月)

印刷製本については伊勢町の(有)松本印刷所にお願いしました。松本印刷の大輪社長さんは中条東地区にお住まいで、深志神社の総代さんでもありますが、会社はMウイングの中にあり、いつも伊勢町2丁目の舞台を曳いています。ところが大輪社長は、この8月で先代から引き継いだ会社を廃業するとのこと。(高齢と後継者不在のため)

『見積りは出すけど、やめる印刷屋に仕事を出すもんじゃないよ。』と断わられました。

それでも強いてお願いすると、

『そこまで言うならねぇ、やるか。いい記念だ。これが松本印刷の最後の仕事になるね。』

と笑いながら、ほとんど儲けにならない図面集の仕事を引き受けてくれました。

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(松本印刷と大輪社長 松本印刷はMウイング南棟の北面にあります)

舞台保存会では以前にも一度、記念誌を製作したことがあります。平成19年に刊行された『舞-松本深志舞台保存会10年のあゆみ-』です。これはその副題のとおり松本深志舞台保存会の設立10周年記念誌であり、会の歩みを記録したものです。10周年を迎えた平成17年に製作が提起され、翌18年をかけて編集を行い、19年に発行されました。

当初は保存会の設立にかかわった方々や、歴代会長の思い出を綴った記念文集になる予定でした。しかし、そんなものを作っても当人たち以外は誰も喜びませんので、関係者には保存会設立の経緯から活動経過を分担して記述してもらい、主には事業記録、修復記録、特に一台一台の舞台紹介にページを費やし、舞台自体を中心とした記念誌に編纂しました。更に舞台修復に関わっていただいている土本先生や中川治雄先生、また岐阜高専の水野耕嗣先生にも寄稿いただいて深志舞台に関する学術的記述も盛り、かなり充実した内容の記念誌になったと自負しています。

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(『舞-松本深志舞台保存会10年のあゆみ-』96頁・カラー印刷 平成19年5月発行)

当時、事務局は今と変わらず私一人で、編集会議は設けましたが実際の編集は、原稿・資料集めから始まり、誌面構成・文章校正まで、ほとんど一人で熟しました。なかなか大変でしたが、充実した編纂作業でした。

それに対し、今回の編集は全く何もありません。研究室から送られてきたCDデータを、そのまま印刷屋さんに渡すだけです。大輪社長も

『こういうのは、印刷屋にはとても楽な仕事だよね。このまま印刷すればいいんだから。』

と笑顔でした。実際、データにはページまで振ってあります。

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(会社の前で 大輪社長)

しかし、ことはやはりそう簡単にはゆかず、厄介な作業が残っていました。といいますのは、「図面集」は研究室によるもので大変見事な出来栄えですが、舞台保存会としては固有の事情もあります。例えば舞台の配列順など、深志舞台には伝統的に行われてきた順番があり、冊子の中もそのように並べ直して欲しい。

また、舞台修復は十数年にわたって行われ、図面はその都度の調査により長期間に亘って描き継がれたものですから、関わった研究室の学生さんも数代に亘り、そうした中で資料に若干混乱を生じた部分もありました。これもこの際、直して残していかなくてはなりません。

研究室にそれらの点を指摘して修正を願ったわけですが、正直なところこれには非常に気を遣いました。

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(博労町舞台の調査風景 平成26年12月 博労町舞台庫前にて)

『舞』の時は、相手が会長・副会長といっても素人ですから、身内の気安さもあり遠慮会釈なしに校訂を行いましたが、今回は大学の研究室が相手です。素人のこちらが、プロの研究者の作ったものに要望を入れてゆく訳ですから、畏れ多いこと甚だしい。気分としては駕篭の前に土下座して越訴を行う百姓の心持ちでした。

幸い、研究室はこちらの要望を聞き入れ、希望する変更箇所をその通りに直してくれましたので、私も心安くデータを印刷所に回すことができました。無理なお願いを聞いて下さった土本先生や、修正作業をして下さった研究室の学生さんたちには、あらためて厚く御礼申し上げます。

印刷品質を確認してもらうためゲラ校正を研究室に送り、了解が得られたのは7月に入ってからでした。本当に安堵し、体の力が抜ける思いでした。

『松本深志舞台調査図面集』100冊が納品されたのは、7月下旬のこと。天神まつりの直前でした。忙しい時期ですので暫くそのまま積み置き、例祭後に漸く開いて見ました。

中町2丁目舞台 右側立面図中町2丁目舞台 後方立面図

(中町2丁目舞台の図面『右側立面図』と「後方立面図」)

図面というものは実に清潔で美しいものです。いくら眺めても見飽きません。ページをめくりながら、あの舞台この舞台と眺めていると心地よく、バロック音楽の世界にでも浸っているような心持になります。「…見て面白いものではなし…」など、とんでもない話です。

図面は物に対する極限的な抽象ですから、情報量が抑えられ、その分舞台の構造、形態が鮮明になります。するとよく似ているように見える典型的な深志舞台も、それぞれに相当な違いがあり、個性的であることが判ってきます。

例を挙げれば、深志舞台は起り型屋根の二階建で、支輪部には四方に廂屋根が付き、前輪が大きく外輪、後輪は小さく内輪、後方に舵棒が付く、といった基本形があります。しかし、前・後輪の輪の大きさやバランス、ホイールベース、また全体のプロポーションなど、引き写しでできている舞台は1台もありません。一台一台がまったく独自にデザインされていす。施主側の要望もあったのでしょうが、舞台を建造した匠のデザインと美意識が、そこに顕われています。そうしたことが図面を見比べる中で、はっきりと解るのでした。

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(今年の7月24日 中町2丁目舞台 中町蔵シック館前で)

八月に入り、図面集をそれぞれに配布しました。各舞台町会、松本市、図書館や博物館等。舞台修復に関わっていただいた修理審査委員会の先生方や、修理プロジェクトの方々にはできるだけ伺って直接手渡しました。

関係者に一冊ずつ手渡してゆくたび、一つずつ肩の荷が下りてゆく思いがしました。

配り終えて、百冊だけ印刷した図面集は、ほぼ無くなりました。

博労町舞台  長軸断面図博労町舞台  短軸断面図

(博労町舞台の図面 「長軸断面図」と「短軸断面図」)

8月13日、迎え盆の日、裏町の正行寺に伊藤雄康さんのお墓を訪ねました。伊藤さんは舞台保存会の創設者です。平成23年に亡くなられました。しかし、博労町には既に伊藤家はなく、伊藤さんにはここ(お墓)でしか会えません。伊藤雄康さんの墓石は、歴代伊藤家の石塔の前の方に建てられていました。

お参りし、墓石に向かって図面集を見せました。博労町のところなどは開いて特に。

図面集は墓前に置いてこようかと悩みましたが、もったいないので見せるだけにしました。

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(今年の7月24日 舞台庫前に曳き出された博労町舞台と舞台人形「鍾馗」)

続いて飯田町に大野家を訪ねました。大野貞夫さんは今年が新盆です。(舞台保存会だより93

大野さんの祭壇は、通夜の時と同じ二階の和室に設えてありました。息子さんに事情を話し、図面集を捧げてお参りさせていただきました。

手を合わせて瞑目。目を上げると、正面に遺影がこちらを見つめています。

『コバ、ご苦労。大ご苦労!』

元気なころの大野さんの大声が、写真の中から響いたように思いました。

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(今年の7月24日 飯田町通りに置かれた飯田町1丁目舞台 大野家はこの向いにある)

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