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舞台保存会だより108 元会長 的場文造氏逝去

2017年7月12日

元会長 的場文造氏逝去

 

去る6月8日、平成29年度の松本深志舞台保存会総会が開催されました。昨年度の事業報告と会計報告がされ、新年度の事業計画・予算案が承認されました。

今年は役員改選もなく、特別な事業も計画されていませんので、比較的あっさりとした総会になりました。昨年のように舞台修理関係の解散式もありません。

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(総会風景) (挨拶する石塚会長)

一つ注目点は事業計画に「舞台庫研究委員会」の設置が盛り込まれたことです。老朽化し、強い地震には耐えられそうもない現状舞台庫をどうにかしなければ。そこでまず研究委員会を起ち上げます。大きな問題ですから、専門家を交えた研究会の設置が必要でしょう。

いずれにせよ、日ならずと予測される中部断層地震を睨んで、現状舞台庫の改修・改築は喫緊の課題であり、今後の舞台保存会最大の事業目標となります。

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(深志神社北の天神舞台庫)

さて、今回の総会は物故者への黙祷から始まりました。今年2月に大藏治さんが、そして4月には有賀正・前松本市長と、的場文造・元舞台保存会長が亡くなりました。3人とも舞台にとって恩人と言える人たちです。平成の舞台修復事業に最も貢献された方々が、わずか数か月の内に相次いで逝去されたことは、何か宿命的のものさえ感じてしまいます。

大藏さんに就きましては前々回の「たより」でも触れましたが、まだこれからという方だっただけに本当に悔やまれます。去年の総会には出席いただいており、それを思うと黙祷しながら胸の奥に苦いものを覚えました。

昨年は懇親会でご挨拶もいただきました。大藏さんは舞台修復が完了したことに祝意を表しながらも、これからはこの舞台をどう保管し、いかに多くの人に見ていただくかが問題ですよと、舞台を容れるハコのことを心配していました。やはりそこが課題なのでしょう。(舞台保存会だより97

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(大藏治さん 昨年の総会で)

有賀元市長はもちろん舞台保存会の会員ではありませんが、舞台修復に最も大きな力を寄せていただいた本当の功労者と言えます。行政の長として舞台修復事業に深い理解を示し、舞台修復のために道を開いてくれました。具体的には舞台の文化財認定。平成13年に松本旧市内の18台の舞台を『松本城下町の舞台』として、松本市重要有形民俗文化財に指定し、修復に市の補助金が得られるよう配慮してくださいました。

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(平成11年 JR東日本文化財団による支援事業認証式で 市長立会いのもと行われた)

しかもその補助金額は、修復工事費用の1/2、最大700万円というもので、これが舞台修復の進んだ最大の要因といっても過言ではありません。深志舞台は舞台修理プロジェクトの監修もあって、地元業者により一台平均1500万円ほどで改修工事がなされましたから、700万円の補助はいかにも大きく、この機会にと各町会競うように舞台修復を行いました。

それのみか有賀市長は、修理すべき舞台が十数台もあると聞いて、

「なに、十何台もあるのか。それじゃあ毎年一台ずつ修理していたんじゃ、ハカがいかんな。会計課に言って2台分予算を取るようにするから、どんどん進めなさい。」

と言って、毎年2台分の予算を計上してくれました。お蔭で保存会では、舞台修復が捗る一方、毎年2台のノルマをこなすのにヒーヒー言うような有り様でした。

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(舞台保存会総会で来賓スピーチをする有賀市長)

有賀市長という人は古いタイプの政治家のイメージがあり、ブルドーザーと渾名された昔の総理大臣とも相通じるものを感じます。ハコ物も大きなのを造って批判を浴び、結局それがアキレス腱となって市長の座を去りましたが、文化には理解がありました。文化はお金で買えないけれど、お金で育てることはできる、ということを知っていたと思います。

さんざん批判を浴びて建設され、市長の四選を断った「まつもと市民芸術館」ですが、今は誰も無駄なハコ物という人はいません。市民に最も愛されるハコになっています。百万都市にもないようなオペラホールを、松本の文化を育てるにはこういうものが必要だ、という信念のもとに造り、市民に提供しました。そして今我々は、ここで生まれた新しい文化を享受しています。

有賀さんは付き合いが良く、市長在職中も退任後も、案内をすると舞台保存会の総会やイベントに好んで顔を出してくれました。スピーチが好きで、舞台の文化財指定の一件など、楽しそうに話していたのを思い出します。

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(舞台サミット 市民芸術館にて) (右端が有賀市長 舞台保存会会員と乾杯)

晩年は介護生活となっていましたが、昨年の夏、舞台修復事業の総まとめとなる『松本深志舞台調査図面集』をお渡しすることができたのが、私にとって心の安らぎです。有賀さん、どうか心安くお眠りください。

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(平成18年の舞台サミットで この時から的場文造氏が第3代目の会長に就任)

的場文造氏は4月27日に逝去されました。脳溢血とのことで、前日まで至極元気だったのに突然自宅で倒れ、そのまま逝去されたそうです。88歳でした。

言うまでもなく的場さんは舞台保存会の元会長です。また保存会の草創メンバーで、平成7年の結成時から副会長を務めています。すると舞台に対する思い入れが強く、舞台に情熱を傾けた人のようにも見えますが、あまりそういう風ではなく、周りから推されて役に就いたといった感じでした。実際、町会や公の好ましい役も嫌な役も私なく引き受け、気持ちよく勤めてくださる。誰からも信頼され愛される人でした。

的場さんは平成18年の総会で、先代の斉藤傳会長から指名される形で3代目の会長になりました。そして、それから3期6年間、松本深志舞台保存会の会長を務められました。しかしこの6年間は舞台保存会の歴史の中で最も忙しい6年だったと思います。

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(舞台サミットで挨拶する的場文造氏) (斉藤会長と共同議長を務める)

先ずは何といっても舞台修復がまさにラッシュ状態でした。平成16年より本格的に始まった「平成の舞台修復事業」ですが、有賀市長の毎年2台のノルマもあって、的場会長時代(平成18年から24年)の修復竣工がなんと11台。深志舞台は川北の2台を含めても全部で18台ですから、過半の舞台を的場さんの時代に修復したことになります。

「舞台サミット」を3回開催。平成20年に「信州まつもと大歌舞伎」が始まり隔年で興行。また市民芸術館を舞台に全国巡回の「日本のまつり」開催もありました。こうした祭りごとに何かと舞台が駆り出されます。

舞台本体の修復保存だけでなく、お囃子の保存活動も始まり「松本の祭囃子伝承スクール」が開校したのが平成20年。舞台修復は完了しましたが、お囃子保存事業は現在も続き、伝承スクールは今年10年目を迎えます。

また平成19年には、舞台保存会設立10周年を記念して『舞~松本深志舞台保存会10年のあゆみ』を編集刊行しました。更に翌年には「伝承スクール」の開講と舞台サミットに併せて、お囃子DVD『松本の祭囃子』も制作しています。

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(舞台調査会など、ほとんどの行事に出席されました)

それにしてもよくもこれだけ多くの事業を僅か数年のうちにやってしまったものだなと、あらためて感心します。的場さんは平成24年に退任しますが、この時にはもはや舞台修復も完全に目途がつき、事業の納め方について考えるばかりになっていました。

的場会長の時代は舞台保存会の実質的な活動が最も盛んだった時期で、謂うならば絶頂期でした。当然会長として出番も多いわけですが、その一つひとつに的場さんは懇切に顔を出し、挨拶し、関係者にねぎらいの言葉を掛け、会長としての職責を果たされました。元もとそういうことには慣れた人でしたが、そうは言ってもご苦労なことだったなぁと、あらためて思います。

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(信州まつもと大歌舞伎のお練りで 隣は輪湖さん)

今にして思うと的場さんという人は不思議な人です。あれほど多くの事業を会長としてとして行なっておきながら、その一つとして自ら提唱し主体を以て遂行した事業はありません。他の誰かが考え出し、あるいは持ち込まれて、やると決まった事業を、会長という役目で果たしただけです。調停役というのでもなく、ひたすら組織に従順でした。

早田さんやらが考え出し、組み立てた計画を、

「みんながそれでいいなら、そういう風にやるかね。」

と言って進める、それだけでした。

しかし、それですべてうまくいきました。おそらく大野貞夫さんあたりが会長をやっていたら、ああは上手くいかなかったでしょう。斉藤会長が後任に的場さんを指名したのは、まったく正解だったと思います。

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(総会で議長席に就く的場文造さん)

的場さんの葬式には町会関係を中心に多くの人が参列しました。親しい人は的場さんのことを「ブンちゃ」と呼び、別れを惜しんでいました。

葬儀場の入り口に写真で綴ったメモリアルボードが飾られていました。法被を着て舞台と一緒に写った写真が何枚かあり、その中の一枚は「日本のまつり」で深志神社境内に舞台を展示した際、名誉総裁である高円宮妃殿下をエスコートした時の写真でした。緊張しながらも表情がほころんでいます。感動の思い出だったのでしょう。

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(「日本のまつり」で 舞台展示で高円宮妃殿下を案内する的場さん)

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(妃殿下を中心に保存会参加者集合写真)

的場さんは亡くなる前日まで元気で、いつもと変わりなく、その日突然に逝かれたそうです。なんだか本当のような気がしません。

「それじゃあ、皆さん。私はもう先に往っていますで…。」

そう言って軽く体を左右させながら、どこか次の場所に行かれただけのような気がします。

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(神道祭で舞台を見送る的場さん)

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