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舞台保存会だより120 大町大黒町舞台

2018年9月 2日

大町大黒町舞台

 

7月20日、本年度の舞台保存会事業として大町市大黒町舞台保存会との交流会に行ってまいりました。大黒町舞台が建造180年を迎えたため、その記念事業として大黒町舞台保存会が企画したもので、当保存会としても所縁ある舞台の今の姿にまみえることも心嬉しく、今回の大町出向となりました。(舞台保存会だより118

また大黒町では若一王子祭(今年は7月21日・22日)の前日に舞台の組み上げを行っており、その様子を実見できるということで、これが一番の目的でありました。

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(大黒町舞台 これはもうだいぶ以前の写真です)

大町大黒町舞台についてはこれまでもたびたび触れてまいりましたので、繰り返しとなってしまいますが、肝心なことですので敢えて詳述しますと。

この舞台は元・松本本町2丁目舞台で、天保9年(1838)に松本で建造されています。大工棟梁は原田幸三郎、彫刻は立川和四郎富昌。現存する限り舞台史上最高の舞台です。舞台規模、芸術性、保存状態を総じて、県内にこの右に出る舞台・山車はありません。

本町2丁目はこの舞台建造に少なくとも五百両を掛けたといいます。500両というと現代の貨幣価値に換算して幾らになるのか?一両を10万円とすれば、五千万円ほどでしょうか。しかし感じとしては億円以上の印象があります。

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(大町市大黒町 前日なのに町中は祭りの準備が整っていました)

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(大黒町公民館 公会堂とも呼ばれ嘗ては結婚式なども行われる施設だったそうです)

この舞台が明治21年(1888)に大町大黒町に売却されます。理由は必ずしも明確ではありませんが、この年の正月に発生した大火が誘因であることは確かなようです。

明治21年のいわゆる極楽寺大火は1月4日、本町5丁目から発生し、南風に煽られ本町全町と中町・飯田町・小池町・宮村町、さらに川北の大名町にまで及んで松本の中心街を焼き尽くしました。どうやらこの時にいくつかの舞台が被災し灰になったらしい。本町2丁目舞台は解体され部材として町内各家の土蔵に分けて蔵われていたため、焼失を免れました。

土蔵のおかげで舞台は無事でしたが、町は丸焼けになってしまいました。町民は店も住む家もありません。当面焼け残った土蔵に仮住まいしようとすると、舞台の部材が蔵の中を占めている。こんなものがあっては寝る場所も取れない。…ならばこの際、舞台を売ってしまおうと。そうして売却が決まったと、これは町の伝承です。

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(現在の本町2丁目舞台(4代目)と 舞台庫の隅に眠る3代目の舞台)

当時本町2丁目には明治11年に作られたもう一台の舞台が在り、普段はそれが運行されていましたから舞台行事には困りませんでした。天保の舞台は過剰な財産と見做されたようです。売却代金は町の備荒基金として貯蓄されました。

大黒町にはこの時の売渡し証も大切に保管されています。金、五百円也。受領証書には、神田久蔵をはじめ奥澤、芦田、宮下、松尾、内藤と町の有力者6人が連署捺印しています。町の総意として売却がなされたことが判ります。

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(大黒町に残る舞台の売渡証 記されている名前はどれも本町2丁目の有力者である)

以降本町2丁目舞台は大町の大黒町舞台となります。爾来130年、舞台は大町の夏まつり・若一王子神社の例祭に曳かれてきました。町の宝・シンボルとなり、町民の心のよりどころとして大切に扱われました。

また近年、平成25年から27年にかけて大黒町舞台は大改修が行われました。町内から一千万円近い浄財を集め、補助金と合わせて百年に一度というような大規模な修復です。その美しく蘇った舞台の姿を目にするのも今回の訪問の目的でした。

今回の大町行きは舞台保存会会員を中心に22名、うち6名が本町2丁目町会の方です。朝7時にバスで松本を出発し、8時過ぎに大町市大黒町に到着しました。大黒町の公民館前には舞台の部材が並べられ、さあこれから舞台の組み上げに掛かろうというところでした。

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(それぞれの保存会長のあいさつ)

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(事務局として諸事手配してくださった松山さん)

大黒町舞台保存会の鎌倉会長と、当方保存会の石塚会長があいさつの辞を述べ、大黒町の皆さんにはさっそく舞台の組み上げを始めてもらいました。われわれは作業場の脇の風通しの良い日陰に席を用意していただき、間近から舞台の組み立てられる様子を拝見しました。

以前、諏訪市博物館で半田亀崎の山車の組み上げを見たことがありましたから、組み立ての概要は把握していました。(舞台保存会だより95)しかし深志舞台と同じ構造の舞台が組み立てられてゆくのを見るのは初めてで、別して感慨深いものがありました。嘗てはどの町の舞台も、町の一隅でこのように組み上げられて祭りに臨んだのでしょう。

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(舞台の組み上げ風景 車輪と台輪材を据えて組み立て始まり)

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(舞台保存会の参加者たち)

棟梁の指示で奥から部材が一つ一つ持ち込まれ、位置に据えられ、枘(ホゾ)を合わせ、栓を打ち込んで土台から組み上げてゆきます。部材は輪や屋根や破風など形の決まったものはその姿ですが、他はほとんどあちこちに枘穴の開いた角材ばかりで、いったいどこに使われる何の部材なのか分かりません。それが単純な枘と栓の結合で組み上げられ、舞台の形になってゆきます。なんだか接着剤を使わない模型作りを見ているようで、これで本当に大丈夫なのかと不安になりましたが、それが舞台の組み上げなのでした。木材の性能を熟知した構造設計の妙と、運航に対する強度の保持、衝撃の解消。舞台を作った昔の匠は、本当に天才的な建築学・力学の知識の持ち主だったのだなと思います。

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(公民館の広間に並べられた舞台の部材)

さらに驚いたのは、実際に組み立てをするのが、指示する棟梁のほかはみな町の人たちで、つまり素人だということ。それも年番制になっているので、実際に舞台の組み立てに携わるのは5年に一度だそうです。年番が一周回ってくればまた初心者です。その素人町衆が棟梁の指図を受けながら、部材を運び木組みを合わせて実際に組み立ててゆきます。時には失敗してやり直しもあります。一度ではうまく合わない継ぎ目も、棟梁の叱声を受けながらなんとか合わせて、徐々に上へと組み上げてゆくのでした。今年の暑さで皆忽ち汗だくです。

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(後輪の取り付け 大黒町舞台は前2・後1の3輪車です 後輪も意外と大きい)

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(徐々に組みあがって行く舞台)

見学していた深志保存会の中から、こんな質問がありました。

「どうして今だにこのような手間のかかる組み立てをしているのか?却って傷みが来ることはないのか?」

遠の昔に舞台の組み上げをやめ、舞台庫の中で出来上がっている舞台を曳き出したり仕舞ったりしている深志舞台の関係者らしい素朴な質問です。形にしておけば手間の要らない舞台を、伝統とは云えなぜバラしたり組み上げたりするのか。

質問された大黒町の方は、なんとも答えようがないという戸惑った表情をしていました。

私はその質問に唖然とし、心恥ずかしくも思いましたが、それが深志舞台の現実であり、失われた舞台感性が大黒町との間に深い溝を刻んでしまっていることを改めて感じました。

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(部材に記された番付 「松」「本」「信」などの文字が使われている)

まず舞台の傷みについては、作業中の不手際による部材の損傷というリスクはありますが、組み立てたまま保管するよりバラして保管した方が、舞台へのダメージははるかに少ないといえます。舞台庫の中で一年中舞台がその形で在るということは、常に舞台各部に荷重が掛かり続けているということです。それが車軸であれば徐々に曲がって行くでしょうし、台輪やそのほかの部材も歪みを受け続けます。舞台の重さは舞台自体を傷めます。荷重の掛らない解体式が優れていることは論を待ちません。

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(一階部分がほぼ組みあがる)

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(広々とした公民館でお茶の時間 みんなでひと休み)

また舞台が常は解体された状態にあり、祭礼に合わせて組み上げられるということは、そのこと自体に深い意味があります。

舞台や山車はお神輿のようにご神体を載せるための祭具ではありませんが、祭礼の中で祭りの神霊を迎え、その神霊を地区に運び斎う祭器であるといえます。そのような重要な祭器は祭りごとに新たに造り、祭りが終わると解体され、祭り以外の使用はなされない、というのが原則です。そのため基本は祭礼の終わりとともに解体破却されます。

実際、安曇のお船はみな祭りにあわせて作り、終わると台車部分を残して解体されます。もし解体しないと神霊がいつまでもお船に留まり、本来行くべき場所(田とか山とか)に帰って行かないからだとも謂われます。

いずれにせよ山車は本来解体するべきものなのです。

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(大黒町舞台の彫刻 立川和四郎富昌の作とされる)

しかし大黒町や深志の舞台のようなものは、その都度作り直すというようなことはできません。何しろ再びとは作れない工芸品ですから。そこで解体し再び組み上げるという作業が重要な意味を持ちます。

舞台を組み上げ、お囃子をして神霊を迎え、祭りの後解体してケに戻す。すなわち舞台の組み上げ解体という作業は、それ自体が祭礼における神事の一部であり、神霊を迎え送るための重要な儀式であるといえるでしょう。

大黒町の人達は、おそらくそんなことは考えもしないでしょうが、舞台というものは自分たちの手で組み上げるものだ、という意識があれば、それは山車と祭礼の本義に沿ったものであり、正しい祭りを行っていると言えます。

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(二階部分を取り付けるため 屋根下から公民館前の野天に曳き出す)

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(二階屋根の取り付け 足に火傷をしそうです)

大黒町の皆さんはそんな理屈には関係なく、炎天下のもと大汗をかいて舞台を組み上げていました。奥では奥さんたちが寄り合ってお茶と賄いの準備をしています。

嘗ては村の人がみな集まってきた新築家屋の建前のような雰囲気があり、それが舞台づくりの緊張感と混じり合って独特の高揚感を漂わせています。それは祭りへの期待と一つのものです。

大黒町舞台は国の重文に指定されてもおかしくない素晴らしい舞台ですが、その素晴らしさはこの人たちに支えられて在るのだと、心から感じました。

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(一応完成 お疲れさまでした)

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