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舞台保存会だより26 太田南海の本町2丁目舞台彫刻について(続き)2010年1月28日

太田南海の本町2丁目舞台彫刻について(続き)

(掲載の写真はクリックすると拡大します)

 

前回に続いて本町2丁目舞台の高欄下彫刻について述べたいと思います。

残る2場面は右側面と背面。先に背面から取り上げますと、題材は「張果老」。所謂「瓢箪から駒」瓢箪の中から馬を捻り出す仙人の図です。仙人の名は張果で、玄宗皇帝の時代に実在した人物のようです。玄宗帝は張果の示した奇跡によって神仙道を信じるようになったと言われます。ただし、元の話では瓢箪から駒を出すとはありません。張果は白い驢馬に乗って一日に千里を行き、休む時は驢馬を紙のように折り畳んで仕舞い、また乗る時は水を吹きかけて元の驢馬に戻したといいます。要するに携帯型マイカーを持った仙人です。

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(本町2丁目舞台 背面彫刻「張果老」)

いつの時代に紙が瓢箪に、驢馬が馬に置き換えられたのか分りませんが、瓢箪の持つ呪術的な縁起の良さ、駒の生命力溢れる目出度さがそうさせたのでしょう。突拍子もなく意外なといった意味合いのことわざが、実はこんなものがあったら便利なのに、という夢願望が元であるのは何となく面白いことです。

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(大町大黒町舞台の「張果老」立川和四郎富昌作 裏には「張姑老」と記されている)

瓢箪から駒の図は縁起がいいということか古くからさまざまに描かれてきました。仙人というより福神に近い象徴的な雰囲気です。一方、太田南海は、或る日の市井の出来事といったリアルなタッチで場面を描き出しています。頃は大唐開元の世、場所は江南地方の都市の一隅といった感じ。奇跡に見入るのは子供たち。怖がったり驚いたり、大人びた様子で見ていたり。子供たちにとってこの世のすべては瓢箪から転び出る駒と同様、驚きと不思議に満ちたワンダーワールドということでしょうか。

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 (張果と子供たち)

最後の右側面彫刻にはいる前に、少しばかり私の苦労話をさせていただきたいと思います。

数年前ですが、舞台の由緒板の制作のためこの本町2丁目舞台の彫刻の題材を調べることになりました。というのは中町2丁目舞台もそうでしたが(保存会だより11)それまでの由緒に幾つか疑問な点があったからで、正確な記述が求められました。

疑問な点というのは彫刻の題材についてで、岐阜高専の水野耕嗣先生による調べでは正面が「剡子と(不明)」右面は「鉄拐仙人、ガマ仙人と楊香」とされ、背面の張果老は「費長房」となっていました。費長房や(不明)は論外として、ここには少々問題があります。

「鉄拐(てっかい)とガマ」は仙人ですが、「剡子(ぜんし)と楊香(ようこう)」は所謂「二十四孝」の登場人物ですから同じ場面に登場することはあり得ません。仙人も二十四孝も立川流の彫刻世界では人気の題材ですが、片や道教、片や儒教と話のジャンルが別で同じ舞台に上るということはないのです。

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(大町大黒町舞台の彫刻「蝦蟇仙人」と「鉄拐仙人」立川和四郎富昌作)

 

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(本町2丁目舞台 右側面彫刻 笑 い合う二人の人物)

ただ、水野先生がそれらの人物と見た理由は私にはよく解ります。座って笑いあう二人の人物は確かに鉄拐とガマ仙人に似ていますし、そばに鹿がいるから剡子、虎がいるから楊香、そう判断せざるを得なかったのでしょう。そうはいっても忸怩たる思いもあったのではないでしょうか。

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(湯の原町会お船の彫刻「楊香」立川富種作) (本町2丁目舞台 右側面彫刻「虎と人物」)

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(飯田町1丁目舞台彫刻の「鹿と剡子」清水虎吉作)

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(本町2丁目舞台 正面彫刻「鹿と老人(東方朔)」)

いずれにせよこの解説は左側面の「西王母」以外は間違いと考え、調査をすることにしました。まずは太田滋さんや高美さんに事情を話し、伝承や資料がないか聞きました。しかし誰も知りません。たかだか80年ばかり前の作品というのに、その図の解説を誰も知らないというのです。いったい町の人たちは今まで何だと言ってこの見事な彫刻を見続けていたのでしょうか。なんとも解せない気持ちになりました。しかし、伝承というものは得てしてそんなものなのかも知れません。

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(太田南海・清水湧水による本町2丁目舞台彫刻の仕様書)

 

そんな中、マルセ薬店の宮沢さんから上記の仕様書を見せてもらいました。昭和7年ごろのものと思われますが、舞台の新築にあたり、どこにどのような彫刻を施すのかを記した仕様書です。末尾に「太田・清水」と署名があり、南海と湧水による請書といってもよいのかもしれません。原本は高美書店にあるそうです。

見ての通り「名称・員数・模様・摘要」の4項目にして舞台彫刻の仕様が記されており、名称欄には彫刻の設置個所が、模様の欄には彫刻の題材が、そして摘要欄には担当者が記入されています。

最初の行の一番下の摘要欄が「太田分」となっており、これが太田南海。他はすべて「清水分」清水湧水の分担であることが判ります。太田分の名称欄「蛇腹」とはいわゆる高欄下のこと。一階と二階の間、支輪部のくびれがアコーディオンや鞴の蛇腹を思わせるのでそのように呼んだのでしょう。太田鶴斎が中町2丁目舞台の墨書でやはり蛇腹彫刻と表記していました。他ではあまり聞いたことがありませんから、太田家の中でだけ言い慣わされていた呼称なのかもしれません。

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(中町2丁目舞台の墨書「蛇腹彫刻 太田鶴斎」と書いてある)

そして、その太田分の蛇腹彫刻、その模様欄は「八仙人」と記されています。

『問題は解決した、題材は八仙人、あとはどの人物が八仙人の中の誰であるかを特定すればよい』私は安堵してそう思いました。

八仙人とは中国で強い人気を誇る八人の仙人で、日本の七福神と思えばよいでしょう。その八人とは「李鉄拐(りてっかい)、漢鐘離(かんしょうり)、張果老(ちょうかろう)、呂洞賓(ろどうひん)、曹国舅(そうこくしゅう)、韓湘子(かんしょうし)、藍采和(らんさいわ)、何仙姑(かせんこ)」というメンバーになります。

本町2丁目舞台の高欄下彫刻には西王母のほかに8人の主要な人物が描かれていますから、この八仙人を当てはめてみましたが、張果老以外はどうもうまく嵌まりません。そもそもこの八仙人というのは日本では非常にマイナーな存在で、特に後半の4人などは殆ど誰も知りません。

むしろ、日本では一般に別の仙人達が流通しています。その仙人とは「鉄拐、蝦蟇(がま)、呂洞賓、張果老、琴高(きんこう)、盧敖(ろごう)、費長房(ひちょうぼう)、黄初平(こうしょへい)」といった面子。彼らは立川流彫刻の常連で、その特徴・アイテムを知ればだれでも特定できます。ちなみに2丁目の先代の舞台、大町大黒町の舞台では上記の「費長房、黄初平」の代わりに「東方朔」を入れて七賢人と称しています。

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(大町大黒町舞台の彫刻「東方朔」立川和四郎富昌作)

しかし、この八仙人でもこの蛇腹彫刻の人物は納得のいく特定が得られませんでした。

では彼らは何者なのか。南海は仕様書に確かに「八仙人」と記しています。他の八仙があるのではないか。列仙伝や抱朴子など道教関係の書籍も渉猟して調べましたが、どうしても適当な神仙や道士を捉えることはできませんでした。

だいぶ長くなってしまったので続きは回を改めてにしたいと思います。

 
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