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舞台保存会だより104 鳥の彫刻

鳥の彫刻

昨年暮れに、斯界にとって大きなニュースが舞い込んできました。日本各地33件の祭りの『山・鉾・屋台行事』が、ユネスコの無形文化遺産に登録されることが決まったのです。文化庁の働きかけでそのような申請が行われていることは承知していましたが、実際に決まったとなると、いろいろ感慨も催します。

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(「秩父夜祭」埼玉県 日本三大山車祭りともいわれる)

先ずは「山車行事」というものが、文化遺産として評価を受けたということ。これは大きなことです。「舞台曳き」は厄介行事ではなく、世界に誇る遺産文化でした。

寡聞にして世界にどのような山車行事があるのか知りませんが、たぶん日本の山曳きというものは、かなり特殊で、また傑れたものではないかと思います。そもそも宗教行事として山車が曳かれるということがあまりないことで、日本独自かも知れません。その意味を考えるとなかなか深いものがあります。

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(半田亀崎「潮干祭り」愛知県 山車が海に入る祭りはここだけでしょう)

日本における山車祭りの発生と進化にはいろんな事由が考えられますが、近世の都市文化に由来するもので、すなわち江戸文化の精華ともいえるものです。250年太平の世がこの文化を育みました。或いは山車の文化がこの太平を齎したのかも知れません。いずれにしてもこの行事が曳くものは、ただの「だし車」ではなく日本文化そのものと言えましょうか。

東北から九州まで、各地に亘って33もの山車まつりが選定されたということは、この文化の広がりを示し、日本文化の本質を見直す契機ともなるのではないかと思います。

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(「高山祭」岐阜県 春と秋、年に二度あり、日本三大山車まつりに数えられます)

一方で今回の登録に長野県内から一件も選ばれなかったのは、甚だ残念なことです。長野県に山車の出る祭りが少ないというわけではありません。件数からすれば寧ろ全国屈指の多さでしょう。しかし、それぞれの祭りの規模が小さく、山車自体にせよ行事にせよ観光客を呼び込めるような華やかさに欠ける嫌いがある。

深志舞台が登録に全く関知されなかったのは仕方ないとして、安曇野のお船行事なんかは推薦されてもよかったのにな、と感じています。

何れにせよ山車を曳く行事が、世界の文化遺産に認定されたということは偉大なことです。これからはワールドワイドな視点で、舞台のことも見ていかなければと思っております。

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(安曇野の「お船まつり」 これは住吉神社のお船)

さて、新しい年が明け今年は平成29年丁酉(ヒノトトリ)。十二支の十番目で動物は鳥・トリになります。今年も舞台に描かれた干支を眺めてみます。

鳥という生き物は鳥類で、他の干支の動物と類を異にしますが、分類学以前の昔の人もやはり違った捉え方をしていたようです。

「花鳥風月」という言葉がありますが、日本では鳥というものは生物というよりは自然環境の一部、愛でるべき風流の景色として扱われています。花鳥画というジャンルがあり、山水画や南画の中にも、猿や貉が登場することはなくとも鳥だけはどこかに飛んでいたり湖水に浮いていたりする。鳥なくして日本の風雅は完結しないようです。

舞台彫刻にも鳥の彫刻は多い。今回は深志舞台に載る鳥たちを、一台ずつ見てゆきたいと思います。

【本町1丁目舞台…鶴】

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(本町1丁目舞台とその彫刻「松に鶴」これは正面の図)

本町1丁目舞台の支輪部・二階勾欄下には「松に鶴」の彫刻がぐるりと廻っています。たいへん精細な彫で、清々しい彫刻です。作者は井波の大島五雲。井波彫刻にはこのテーマが多いようで、熟れた図案と彫です。

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(子鶴を養う場面などなかなか可愛らしく面白い)

ちなみに「松に鶴」は伝統的なおめでたい図柄ですが、実態としての鶴と松はあまり縁がないようです。鶴は松などの樹木に止まるということはなく、そこで営巣もしません。松に止まるのはコウノトリだそうです。

本町1丁目舞台には、側面の持送りにも鳥の彫刻があり、どれもなかなか見事なものです。

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(本町1丁目舞台 持送りの彫刻 オナガに鵜でしょうか)

【本町2丁目舞台…鳳凰】

本町2丁目舞台は、二階切妻屋根の下、懸魚の部分に見事な鳳凰を掲げています。鳳凰は長い尾羽を巻くように立体的の彫られており、その精密な彫に驚かされます。

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(本町2丁目舞台と懸魚の彫刻「鳳凰」)
(屋根幌を被っていることが多いので、なかなか見ることができない彫刻です)

唐破風屋根であれば、この部分の名所は「兎の毛通し(ウノケドオシ)」と呼ばれます。極めて細い兎の毛を漸く通すほどの細密な彫刻、という意味です。舞台は起り切妻なので名所は懸魚ですが、「兎の毛通し」と呼びたくなる本当にデリケートで見事な彫刻です。

作者は清水湧水(ワクミ)。湧水は清水虎吉の長男で、その技を受け継ぎました。虎吉の持つ殆どデモーニッシュなまでの表現力はありませんが、堅実で丁寧な仕事ぶりは評価が高い。

本町2丁目舞台で湧水は大工棟梁も務めました。彫刻は太田南海と分担で、南海は二階勾欄下の長大な神仙図彫刻に鑿を振るっています。したがって彫刻は共作(競作)となります。南海に負けられぬという意気込みが、この見事な作品を生んだのではないでしょうか。懸魚の鳳凰彫刻は湧水一代の傑作と思います。

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(本町2丁目舞台二階勾欄下彫刻「梅福」「玉巵」「西王母」)

一方、太田南海もその神仙図彫刻の中で鳳凰を描いています。上巳の節句に西王母の長寿を祝って訪れる玉巵(ギョクシ)と梅福仙人。玉巵は竜に、梅福(バイフク)は鳳凰に乗ってきます。

これはいかにも太田南海らしい華麗で優美な鳳凰です。彫は切れ味鋭く刀跡鮮やか、構図・フォルムも美しく本当にほれぼれします。鳳凰の背でパンフルートのような楽器を奏でる梅福も素敵で、微かに仙境の音楽が聞こえてくるかのようです。

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(梅福と鳳凰)

なお、梅福というのは前漢末の官僚で、王莽に嫌気して仙人となった人だそうですが、どうして鳳凰に乗るのかよく分かりません。しかし、社寺彫刻ではたいていこのような姿で描かれます。

他に鳥に乗る仙人は、鶴に乗り笙を吹く王子喬(オウシキョウ)。また壺中天の呼び名で知られる費長房(ヒチョウボウ)も鶴に乗った姿で描かれます。

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(旧本町2丁目舞台である北大妻・野々宮神社舞台と その懸魚彫刻「費長房」)

【本町3丁目舞台…鷁(ゲキ)】

天神まつりで深志舞台を見たことのある方なら、他の舞台は個々の記憶に止まらなくとも、本町3丁目舞台だけは印象に残っていることでしょう。極彩色の巨きな鳥の彫刻を先頭に飾った舞台はこれだけです。

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(本町3丁目舞台)

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(その正面を飾る鷁の彫刻)

鳥の名は鷁(ゲキ)。鷁という鳥は中国想像上の水鳥で、姿は鷺に似、飛翔すれば颶風にも耐えて大空に舞うという。鳳凰の水鳥版だと考えればいいのでしょう。

「竜頭鷁首」という言葉がある通り、平安時代にはその姿を舳に飾った舟が作られ、貴族の庭園の池で舟遊びが催されました。現代でもそういう船はあちこちにあり、船を用いる神事などで使われています。しかし山車がこういう姿というのは珍しい。

本町3丁目舞台の設計製作者は太田南海ですが、まったく彼のユートピア・イメージをそのまま舞台に仕立て上げた代物でしょう。建造当時はさだめし人々に驚かれたことでしょうし、3丁目の人々もどんな心持ちだったのでしょうか。自慢というより気恥ずかしかったのではないかと想像しますが。

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(ご神前で祓いを受ける本町3丁目舞台と町の人)

それにしても太田南海の描く霊獣、この鷁や鳳凰は眼付など妙に漫画チックな表情をしています。どこかで見たような気がする…。

そう、手塚治虫の「火の鳥」に似ているように思うのですが、如何でしょうか。もちろん南海のほうが昔の作者ですから、手塚治虫は何かの機会に深志舞台を見て「火の鳥」の着想を得たのではないか?

想像だけは自由ですから、そんな場面も思い巡らし楽しんでみます。

【伊勢町1丁目舞台…鳳凰】


(伊勢町1丁目舞台)

伊勢町1丁目舞台は簡素な舞台で、彫刻もあまり付いていませんが、支輪部四周に四霊の彫刻が施されています。四霊とは四瑞とも謂い、四つのめでたい霊獣を言います。麒麟・霊亀・竜(応竜)、そして鳳凰。

この彫刻、作者は誰か分かりません。いつ頃取り付けられたのかも。しかしなかなか品があり素敵な鳳凰だと思います。

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(二階勾欄下彫刻「鳳凰」)

【伊勢町2丁目舞台…鶴】

伊勢町2丁目舞台では一階の手摺り部分に鶴の彫刻が施されています。作者は原田蒼渓と伝えられます。

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(伊勢町2丁目舞台と 一階手摺りの「鶴」の彫刻」)

本来、鶴の彫刻、それも飛翔する鶴であれば、舞台の高い部分たとえば二階勾欄下などに付くのがセオリーではないかと思います。それなのに一階の手摺りにあるというのは、二階勾欄下には最初から牡丹の彫刻が付いていたためで、そのことを示す証左となります。(舞台保存会だより80

この鶴の彫刻は派手やかさはありませんが、一つ一つ見るとなかなか丁寧に彫られていて味わい深い。名匠・原田蒼渓の作であれば当然でしょうか。ただ平成20年に舞台が修復された際に彫刻もクリーニングされ、きれいにはなりましたが彫りのシャープさが損なわれました。黒ずんではいても以前のほうがよかったのにな、と残念に思うことがあります。

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(平成20年に解体修理された際 取り外された「鶴」の彫刻)

長くなったので、残りはまた次回にいたします。