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舞台保存会だより122 驚くべきもの 熊倉のお船

驚くべきもの 熊倉のお船

 

『安曇のさる神社で曳かれている舞台があるが、どうも元深志の舞台らしい。宮村町の前の舞台ではないかとのことだが…。』

数年前のことになりますが、ある人からそんな情報が寄せられました。

またも出てきたモト深志神社舞台。甚だ怪しい話です。情報の出所も豊科に住んでいる人の話というだけで心許ない。由緒が判らないと何でも深志神社の舞台にしてしまう。これまでもこの手の伝承にはずいぶんと騙されてきました。

しかし今回新しいのは「宮村町の舞台」と、町の指定が加わっていること。具体的な町名まで伝わっているのであれば、或いは本当に元深志舞台かも知れない。

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(安曇野市豊科熊倉の春日神社)

その神社は豊科の春日神社というお宮で、祭礼は4月の末だという。小林秀雄の「真贋」ではありませんが、話だけで偽と分かっても、一応モノを見てみないと済まないのが好事家の性で、なんにせよお祭りの日に行ってその舞台を観てみることにしました。

宮村1丁目舞台

(宮村町1丁目舞台)

因みに現在の宮村町の舞台というのも謎の多い舞台で、建造の時代からして分かっていません。江戸時代の舞台だという人もいれば、明治の中頃という説もあります。個人的な見解としては、もともと屋根の付いていなかった簡素型舞台ですから明治の初期か、下っても中頃か。また宮村町も明治21年の極楽寺大火ではあらかた焼けていますから、その時舞台も被災したとすると、やはり明治20年代ではないかと推測されます。少なくとも江戸時代に遡る舞台ではないと思う。

宮村町は元禄5年に初めて舞台を作って曳き回したとされる最も古い舞台町会ですが、歴代舞台のことはほとんど分かっていません。今の舞台が何代目の舞台になるのか?先代の舞台は売却されたのか、それとも焼けたのか?それすらもまったく分からない。宮村町に限った話ではありませんが、舞台に関することでは不明が多くて困ります。

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(犀川 元「熊倉の渡し」のあった場所)

さて問題の舞台の所在ですが、春日神社は旧豊科町熊倉の神社で、そこの舞台だと判りました。熊倉はかつて『熊倉の渡し』という松本と安曇をつなぐ渡し場のあった所。千国街道の要所として有名です。しかし近代になって新橋や梓橋ができると渡しの必要はなくなり、普通の農村になりました。現在ではあまり人の訪れる場所ではありません。

その年の四月の末日、私も初めて熊倉と春日神社を訪ねました。

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(春日神社より安曇野、北アルプスを臨む)

熊倉の春日神社は、安曇野の東の縁、犀川の畔の小さな丘陵の上にあります。丘に上がると眼の前に広大な田野が開け、その上に常念岳を中心とした北アルプスが青く連なり、最も安曇野らしい景色が広がっています。そういえば以前、春日神社の宮司さんが「常念岳は熊倉のお宮から見える常念が一番だ。」と言っていたのを思い出しました。安曇野は北アルプスをバックにいたるところに絶景を繰り広げますが、その中でも屈指の眺望だと思います。

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(春日神社 鳥居と参道)

白い御影石の鳥居をくぐり、松並木の中、花札絵柄の燈篭を飾った参道を進むと、奥に神社の拝殿が見え、その前に山車が置かれていました。目指す舞台のようです。しかし…

『…これは舞台じゃない、お船だ。』思わず口に出して呟いてしまいました。

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(熊倉のお船 神社の前に置いてある)

それはまったく「お船」でした。但しハリボテ式の舟形に人形を乗せた安曇型のお船ではなく、山車車の前後を布の舳と艫で飾った里山辺型のお船で、本体の山車部分は二階建ての立派な建築造作となっています。

『いったいどこの誰が、これを見て元は深志舞台などと考えたのだろうか。』

呆れた気持ちで暫く眺めてしまいました。紅葉にシカの絵柄の舳や艫が印象鮮やかな、美しいお船です。舞台からの改造も疑いましたが、その形跡は見られません。一からお船として造られた典型的なお船のようです。ただ車輪は内輪式の4輪で、2輪式の山辺とは違う。また前後輪とも内輪式は、深志舞台とは異なる車輪形式です。

要するに深志舞台とは全く違った、まず縁もゆかりもない山車、お船でした。

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(熊倉のお船)

『またしてもガセネタを掴んでしまったわい。』

と苦笑しつつ、そうはいってもなかなか良さそうなお船なので、近くに寄って観ることにしました。彫刻がたくさん施されています。まず目についた二階勾欄下の彫刻は、なんだかマンガのような絵形をしていました。

僧侶のような男が、口から思い切り息を吹き出して人型を飛ばしている彫刻があります。

『…これはまさか、鉄拐だろうか。』

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(熊倉のお船の彫刻「鉄拐」らしき仙人図)

呼気に自分の魂を乗せ幽体離脱する仙人・鉄拐(テッカイ)。中国でも日本でもとりわけ有名な仙人ですから、いろんな鉄拐図を見てきましたが、こんなのは初めてです。桃の種を吹きとばすような勢いで分身を吹き出す鉄拐。飛ばされた分身の鉄拐は遊園地で遊ぶ子供のように笑っています。明らかにマンガじみている。いったいこの作者は鉄拐の何たるかを知っているのでしょうか?

その隣に目を遣ると、これまた驚嘆の彫刻が目に留まりました。

ポリネシア風の風体をした笑う男と、巨大なカエル。どうも蝦蟇仙人のようです。

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(熊倉のお船の彫刻「蝦蟇仙人」 なぜか二人もいる)

蝦蟇仙人と鉄拐仙人については、このたよりでも採り上げました。(舞台保存会だより96

この二人の仙人は極めて個性的なキャラクターなので人気があり、あちこち様々な姿で表現されています。しかしこんな能天気な蝦蟇・鉄拐は見たことがありません。

呆れて反対側に回ってみると、ここにも凄いのがありました。

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(熊倉のお船 「呂洞賓」と思われる彫刻)

これはどうやら呂洞賓(リョドウヒン)のようです。呂洞賓は道教の世界で極めて位の高い神仙で、孚佑帝君と尊称され、八仙人の中でも棟梁格に扱われます。日本ではなぜか竜と一緒に描かれることが多く、魔法のランプを持つアラジンのように竜を抽き出します。竜を自由に操る仙人ということでしょうか。

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(大町市大黒町舞台の仙人彫刻「呂洞賓」)

その姿はたいていこんな具合ですが、

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(熊倉のお船の彫刻「呂洞賓」)

熊倉のお船の呂洞賓はこんなありさま。まるでバズーカ砲を撃つかのように竜を放出しています。ドラゴンボールではあるまいし、いったい何を考えているのでしょう。

更にもう一面は鶴に乗る仙人、おそらく王子喬か、或いは費長房でしょう。ふつう彼らは鶴や鳳凰の背で優雅に笙を吹いたりしていますが、この仙人は違います。まるでジェット戦闘機に乗るかのよう。呂洞賓の竜とともに勢い、スピード感は素晴らしい。しかし仙人図彫刻でこんなのってアリでしょうか?

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(熊倉のお船の彫刻「王子喬」か)

呆れながら写真を撮りつつお船を見回っていると、礼服を着た総代さんが出てきて話しかけてくれました。じきにお船の前で記念写真を撮るのだそうです。

その総代さんによれば、お船は実は二艘あり、以前は二台で張り合って曳きまわしていたが、最近はこの一艘だけ出すようになったとのこと。また近年ではこのお船も飾って拝殿前に置くだけで、村中を曳きまわすことはもうしていないとのことでした。

「人がいなくてね。まあこうやって飾るのも大変になってきて、もう出すのはやめようっていう話もあるだいね。」

人手のかかる祭礼行事は難しくなっているようです。お船の由緒を訊いてみましたが、やはりよく分からないとのこと。大工や彫刻の作者についても当然まったく分かりません。

そのうち社務所から宮司さんも出てきました。宮司さんは有明の人で30年来の旧知です。

「彫刻の写真撮るなら、これも撮れや。」

と言って、お船の中段に廻らされている幕を捲り上げて、その下の彫刻を見せてくれました。

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(熊倉のお船の彫刻「獅子」)

その彫刻は里山辺のお船と同じ一階の窓部分を全部使って透かし彫りにした大盤彫刻で、左右四つの面に、獅子が2面、虎、鹿がそれぞれ一面ずつ描かれていました。

一見するとまるで三歳児が描いたような、とてもナイーブな絵姿です。これはまた随分な絵だな、と思いつつ、勧められるままに写真を撮っていきましたが、暫く眺めているとその強い存在感に打たれ、この彫刻はただものではないと直感しました。

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(熊倉のお船の彫刻「トラ」)

一見稚拙そうに見えて、構図も形も間然するところがありません。そして何より絵の力強さ、描かれた動物たちの生命力の強さに驚嘆しました。こんな表現は滅多にあるものではない。

立川流の一流の作品であっても、これほど生命感の強烈な彫刻は稀です。また立川とか大隅とか、然るべき流派に属する人は決してこのような作品を作らないでしょう。

ではいったいどういう人物がこれを彫ったのか。埋もれた天才でしょうか。

圧倒的な存在感、生命力。ふと、或る芸術家の顔と名前が脳裏に浮かびました。

『岡本太郎。もしも彼がこれを見たら、なんと言って称賛しただろうか…。』

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(熊倉のお船の彫刻「獅子」 これは雌雄の場面か)

そのうち記念写真を撮るため、総代さんたちがお船の手前にイスを並べ始めました。宮司さんと助勤の神主さんたちも装束を着て出てきます。私は後ろに下がってお船全体の姿を眺めていましたが、気もそぞろです。胸の中に熱い火種が熾ってしまったようでした。

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(春日神社拝殿前 お船をバックに記念写真)

思うに仙人彫刻も動物彫刻も、おそらく同じ人物の手になるものでしょう。或いはお船を造った大工自身の仕事かも知れない。多分そうでしょう。

もしそうだとすると、これら彫刻はまったく名もない鄙の一職人の作品ということになりますが、こんな田舎の片隅に、そんな凄い造形家がいたのでしょうか?

信じがたいが、やはりいたのでしょう。

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(熊倉のお船の彫刻「シカ」)

まさに驚くべきものはどこにもある。こんな身近にも。ほとんど人に知られることもなく。そんなことを痛感した春の午後でした。

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