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舞台保存会だより84 小池町舞台の建造とその彫刻

小池町舞台の建造とその彫刻
前回も紹介しましたが、小池町舞台の建造(明治27~28)に当たっては町の旧家・笠井家に「舞台新築人名簿」という出納帳が伝わっており、募金から支払いまでかなり詳しい会計状況が知られます。表紙には「明治廿七年甲午七月初メ」と記されていますから、舞台建造の決定と同時に、募金会計が始まったことが判ります。

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(天神まつりで町内に置かれた小池町舞台) (舞台建設に係る出納帳「舞台新築人名簿」)

島幸製の罫紙で綴られた台帳は、一枚めくると規約があり、「今般町内共有に係る舞台新調ニ付規約ヲ定ル事左之如し」として、組織、募金方法など六条の条目が続きます。

最後の「第陸条(第六条)」には、

「一、 集会席ニ於ル酒食等ハ一切出しヲ厳禁スル者トス」

とあり、思わず笑いがこぼれます。大事な舞台を造るための募金ですから当然ですが、手間賃代わりに飲みたい人もいたはずです。それとなく世話人たちの思いがしのばれます。

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(舞台新築の募財に係る規約 笠井さんのご先祖はなかなかの悪筆です)

募金には町内有志83人が名を連ね、その多くは月掛けしたようです。経済力に応じてでしょうが、筆頭者は30円から、少ない人は2円まで、だいたい6,7回で納めたようです。また他所の町の有力者からも寄付を貰っていますが、それは飛ばすとして、支払い・建造費です。小池町舞台がいくらで出来たのか興味があります。それについては入金帳の次に「舞台渡金帳」という出金帳があり、職人や商店への支払いが記されています。

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(募金帳 町内有志は予め募金額を定め、月掛けで払っていったらしい)

それによれば「舞台諸木作料彫工一式」が、中村甚平外六名渡し金として、弐百九拾五円(295円)、清水寅吉へ彫工増金として拾五円(15円)、合計・三百拾円(310円)です。

次に「舞台金物一式」として、佐原市右衛門宛、壱百五拾弐円六拾銭(152,60円)、これは錺金具と思われ、他に「舞台鉄金物一式」として壱拾七円六拾銭(17,60円)がありますから、金具合計は170円20銭になります。

次に「舞台塗物一式」。これは漆塗りで、小川久吉宛に壱百円(100円)支払われています。

職人への払いは内金渡しで、これも7回くらいに支払われています。月掛けで集めたお金を、内金で何回かに渡す。合理的です。

足してみると小池町舞台の建造費は580円20銭。そのほか太鼓やら御簾やら幕やら、雑費の類がまとめて約73円。概ね650円ということになります。

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(「舞台渡金帳」職人や店に対しても内金で数度に支払った様子が判る)

明治の中頃に650円という高がどんな金額であったのか?単純な比較はできませんが、物価などを参考に考えてみます。

当時(明治25年頃)、小学校教師や巡査の初任給が8円ほどであったといいます。現代は20万円くらいでしょうか。即ち物価を現在の25000分の1と考えると、650円は現代の1600万円余に相当します。少し安過ぎはしないでしょうか。

また当時は大工の手間賃は安く、地方では月給換算で5~6円程度だったようです。仮に現代が30万円として、この額から推すと650円は概ね3600万円前後になりましょうか。いずれにせよ安い。仕様にもよりますが、現在小池町ほどの舞台を造ろうと思ったら、どう少なく見積ってもその倍は掛かるかと思います。

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(小池町舞台の車体部分) (二階屋根の鬼)

一方、先立つ明治21年に本町2丁目から大町大黒町に売り渡された舞台が金500円、また同じ明治27年に本町4丁目から池田下町に売却された舞台が金250円だったといいます。中古舞台の相場は意外と高い。すると小池町舞台が650円というのは、まあそんなものなのでしょうか。新築の舞台建造費としては多少経済だったのかも知れません。職人はみな町内ですから、手間賃を少し勉強してもらったのではないでしょうか。

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(小池町舞台 一階手摺の小窓彫刻)

ところで、舞台の木工事には中村甚平外六名に295円と彫刻師・清水虎吉に15円支払われています。大工7人に295円は材料費も含めればまずまずとして、清水虎吉への支払いが15円というのは些か安すぎます。しかしよく読むと「彫工増金分」とありますので、追加工事があったか、或は割増払いがあったということかと思われます。ボーナスでしょうか。

但し他に清水虎吉に支払われた本体の記述は出てきません。何処で支払ったのでしょう?おそらく「中村甚平外六名」分の295円の中に、虎吉の分も入っていると考えるべきでしょう。大工7人というのは清水虎吉も含めて7人だったのかも知れません。

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(舞台建造に係る「諸費記」左の頁に清水寅吉の酒代が見える)

なお余談ですが、建造費の中の諸費には、太鼓や御簾の支払いに紛れて「清水寅吉□酒代 金、四十五銭」というのがあります。

清水虎吉は無類の酒好きで、わずかな酒手に誘われて根付や神像を彫ったというエピソードを聞いたことがあります。町内の集まりでは経費による酒食は厳禁でしたが、彫師・虎吉については、彼の体調維持に欠かせないサプリメントとして必要経費と認められたのでしょう。

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(小池町舞台 一階手摺の小窓彫刻)

小池町舞台は清水虎吉が彫刻を入れた2台目の深志舞台ということになります。一台目は明治18年竣工の飯田町1丁目舞台。ちょうど10年前です。(舞台保存会だより75

その後虎吉は飛騨古川の二之町「竜笛台」の彫刻などを手掛け、彫刻師として名が高まってきました。明治27年は38歳。職人としても脂がのりきった頃でしょう。

おそらく飯田町1丁目舞台の彫刻は評判がよく、いま社寺や舞台の彫刻なら清水虎吉が一番だろう、ということで依頼が行ったのではないでしょうか。或いは大工仲間から「彫刻は虎吉で」と指名があったのかも知れません。

いずれにしても舞台にとって、装飾としての彫刻は重要なポイントです。どんな大きな派手な舞台を造っても彫刻がショボければそれまでです。小池町舞台が博労町に匹敵する舞台を造ろうとすれば、この頃恃めるのは原田蒼渓か清水虎吉のどちらかだったと思います。

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(小池町舞台の輪覆い彫刻「波頭紋」)

その小池町舞台の彫刻ですが、期待にたがわぬ見事な出来と言っていいでしょう。中でも前回も取り上げた輪覆いや泥板の波頭紋彫刻、また持送りの龍・飛龍の彫刻は出色の出来栄えです。竜は雲龍。雲の中から立ち現れる竜の姿です。

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(小池町舞台 持送り彫刻「雲龍」)

竜という生物は中国古代からの古い霊獣で、もちろん想像上の生き物ですが、架空の動物ではありません。竜は水の象徴で、水のように形を変え自在に変化します。水蒸気となって天に昇り、雲となり、雷・稲妻となって光り轟き、雨となって地に降り、河となって渦巻き大地を舐め、大海にそそぎます。水の循環は生産と破壊に直結していましたから、古代人にとってその活動はまさに死命を制するところで、激しい河のうねりや沸き立つ雲の中に、人々は確かに竜の姿を見たのだと思います。

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(小池町舞台 持送り彫刻「飛龍」)

清水虎吉は竜が得意だったらしく、社寺や舞台彫刻に多くの竜を刻んでいますが、立川の名を自認するだけに、どれも強い存在感があり見事なものばかりです。中でもこの小池町舞台持送りの竜は、彼の代表作の一つに数えてよいかも知れません。波頭を蹴立てるように羽ばたく飛龍や、渦巻く雲を別ける竜の姿からは、激しい水音や雷鳴の響きさえ聞こえてくるようです。

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(小池町舞台 支輪部彫刻「日本武尊の命草薙の剣を振るい向火を起す」)

一方、二階勾欄下支輪部と一階手摺部分には、人物彫刻が刻まれています。

二階勾欄下には正面に「日本武尊の命草薙の剣を振るい向火を起す」の図、ほか側面と背面に「新羅三郎笙の秘曲伝授」、「在原業平都鳥を詠む」、「鞍馬山、牛若丸と天狗」、「新田義貞稲村ケ崎に剣を捧ぐ」、そして「楠公親子櫻井の別れ」の図が描かれています。出典は古事記から始まり太平記までさまざまですから、日本の伝説、歴史説話というところでしょう。それぞれ絵として解りやすく、背後の物語を知ればより深く楽しめる、彫刻はそのように描かれています。

祭りの日、孫を肩車したお祖父さんが町内に曳き据えられた舞台に寄り、彫刻を指差しながら場面の説明をする、そんな光景が目に浮かびます。

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(「新羅三郎 笙の秘曲伝授」) (「在原業平 都鳥を詠む」)

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(「鞍馬山、牛若丸と天狗」) (「楠公親子 櫻井の別れ」)

また、一階の手摺には「桃太郎一代記」、童話・桃太郎の主要場面が彫られています。

『爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行って…』桃を拾う場面から始まり、キビ団子を駄賃に三匹の家来を従える場面、鬼が島の場面、財宝を奪い得意満面で帰宅する桃太郎まで、これは説明がなくとも見るだけで解ります。手摺の高さは小学一年生の背丈と一緒ですから、子供たちは幼い時分から何度も聴いてきた御伽話が彫塑となって繰り広げられているのを、目を丸くしてなぞったことでしょう。

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(小池町舞台正面 手摺彫刻「桃太郎」桃太郎が凱旋する場面)

現代ではもう舞台彫刻に興味を示すような余裕のある子供はいないかも知れませんが、物や情報の多くない時代には、舞台は見るだけで感動し、誇りを覚え、数多の思い出や情操を育んだのだろうと思います。

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(手摺彫刻「桃太郎」爺さん婆さんの許へ川上から桃が流れてくる)

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(三匹の家来にキビ団子を与える桃太郎)

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(鬼と、犬・サル・キジ 獣の家来たちも馬や動物に跨っているのが面白い)

舞台は庶民が祈りを託す信仰の器であり、子供に語り聴かす童話であり、歴史や美術の教科書であり、人々の憧れを誘う煌びやかな工芸品でした。そして、それはまた零細な町民たちの募金が結集した、かけがえのない庶民の共有財産でした。

どれほど多くの思いがこの舞台に結実していることか。

それを思うとき、私は少し胸が熱くなります。

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(神道祭で大名町に展示される小池町舞台)