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舞台保存会だより117 高岡御車山祭

高岡御車山祭

 

5月1日、今年の山車まつり視察研修として富山県は高岡市の「高岡御車山祭(タカオカミクルマヤママツリ)」を見学してまいりました。

高岡御車山祭は高岡關野神社例祭の奉祝行事で、毎年5月1日に執行されています。近年ユネスコ無形文化遺産にも登録され、北陸を代表する山車祭りです。

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(高岡御車山祭 市内の曳航風景)

その歴史はたいそう古く、天正16年(1588)に豊臣秀吉が天皇を聚楽第に迎えるために用意した御車を前田利家公が拝領し、後に前田家二代・利長公が高岡城を築くにあたりこの御車を町民に与え、曳き回させたのが始まりとされます。

深志舞台もそうですが、全国の主な山車祭り起源を辿ると、江戸の初期、領主と町民のつながりが由来となっているケースが多くあります。高岡の御車山もその典型と言えます。

それにしても始まりが天皇の御車とは…。前田家が本当に御車を町民に下げくだすとも思えませんが、由緒としてはこの上なく尊く、めでたい祭り行事と言えましょう。

前田家は北陸ではまったくの外様でしたから、特に利長公、三代・利常公は領民慰撫に心を砕いたといいます。城下町を築き、新しい町を経営するにあたり、祭礼を興して人々の心を一つにまとめる。北陸は一向一揆の中心地で戦国時代には残虐な仕置きも多くありましたから、その慰謝にはやや過剰なサービスも必要だったのかも知れません。

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(今回も利用させていただいた松本市のバス まつもと号)

さて、今回のツアーには舞台保存会員ほか27名の参加をいただき、1日の朝、例によって伊勢町Мウイング前を出発しました。個人的には最近しばしば北陸に行く機会がありましたが、保存会としては初めてです。安房峠を越え、バスは国道471号線と41号線を辿って富山に向かいます。飛騨市の上宝から神岡を通過します。飛騨というところは行けども行けども山の中。山襞の国です。しかし山容がやさしくて穏やか。すでに山いっぱいに新緑が溢れ、眼と心が癒されました。

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(神岡・圓城寺の山門 山口権之正の建造と伝えられる)

中でも神岡の町は山中にぽっかりと開けたオアシスのような町で、森の中から抽出されたようなその姿は強い郷愁を呼び起こします。神岡には嘗て山口権之正が建てた寺の山門が移築されており、それを確認するため以前訪ねたことがあります。昭和の風情を留めた街並みは懐かしく、小路の中まで散策したくなります。町を貫いて流れる高原川が爽やかで、その岸辺に佇つと、いつまでもこの時間の中に居たい、と感じさせる町でした。

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(神岡の町の中央を流れる高原川)

神岡から先も国道41号線は深い渓谷の中を進みますが、いきなり開けて富山平野になります。気が付くと視界から山が消えています。なんだか心が定まりません。富山県というところは南に立山と北に富山湾を擁し、地形も自然も変化が劇的です。高山から平野、海も深海まで。こういう環境の中に生活する県民は、何を基準に物を考えるのでしょうか。

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(越中八尾曳山祭り)

以前、越中八尾の曳山祭りを見に行ったことがあります。やはり5月の初めでした。八尾は春の曳山と、何といっても『おはら風の盆』で有名な町です。富山県の南の山地が終わって平野に変わる、ちょうどお盆の縁のような場所で、坂の途中に町が作られています。町の前に井田川という川が流れ、その先はもう平地なのですが、なぜあんな場所に町を開いたのか?どうしても山寄りに住みたい人間たちが、集まって作った町なのでしょうか。

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(鍵の手の辻での曳き回し)

町中の通りもすべて坂道で、曳山の曳行も大変です。重いヤマを引き上げる登りも苦労でしょうが、下り坂ではヤマが暴走しないように曳き綱で後ろに引いて曳山を制御してなくてはなりません。どこの山車祭りでも皆が綱を引っ張って山車を動かす中に、引き綱でブレーキをかける曳山があるとは、山車の世界も様々だなと感心した次第です。

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(下り坂を曳行される八尾の曳山)

高岡の町にはちょうど正午ごろに到着しました。駅前でバスを降り、曳山の勢揃いが行われている片原町交差点へ急ぎましたが、ヤマはすでに動いていました。

七台の曳山が一文字笠に裃姿の山役員数十人を従え、縦列で進んでゆきます。山車はいわゆる傘鉾型で、山車の中央に巨大な傘鉾が建てられ花傘がドームのように垂れています。その頂に鉾留と呼ばれる大きな金錺が飾られ、これが金色に輝いて素晴らしく豪華。青空によく映えます。傘の下には本座と呼ばれる人形とともに裃姿の子供が乗っています。いかにも前田家ゆかりの城下町らしい見事な曳山です。沿道には大きな人垣ができていました。

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(高岡の御車山)

山車・曳山の起源は天神地祇を築山や高い樹に招いて、一時的に祀った標山(シメヤマ)が起源とされます。山車はその標山に車輪を付けて、祭りの及ぶ地を曳き回しました。

神々が降る樹やヤマは神の依り代とされます。その際は神職が降神などの神事を行うのではなく、神霊が勝手に降りてきます。したがって、見るからに神様がそこに降りたくなるような、高くて美しく立派な依り代であることが重要になります。

傘鉾型の山車はその思想に忠実に造られており、神や神霊はこんな色・形の依り代が好きなのだろう、という忖度も表現しているといえます。高岡の傘鉾型曳山はただ単に煌びやかで派手なわけでなく。神を招くという思想があの見事な鉾留や花傘となり、神々も人も喜ばせているのでしょう。

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(曳行風景)

人ごみを別けながら、移動する曳山を追います。次の堀上町交差点に来ると、曳山は90度向きを変えて駅方向に進み、道中で停止すると、神職から祓いを受けて囃子を始めました。正面に小高い丘があり鳥居が見えます。高岡關野神社です。遥かにお宮を臨みながら曳山とお囃子の奉納をしているのです。お囃子の奉納が終わるとヤマは再び向きを変え、曳行順路を辿って進んでゆきました。

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(高岡關野神社)

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(高岡関野神社を臨む路上で 祓いを受ける山役員と曳山)

關野神社は丘の上で拝殿前の境内も広くない。深志神社のように境内へ曳き込むことはできないけれど、神社を拝しながら立派に奉納する。威儀整い、礼に適った奉納儀式に感銘を覚えました。

高岡はもちろん平地の町ですから、曳き回しも八尾あたりとは違います。そもそも引き綱が見えません。曳山の前後に轅(ナガエ)が伸び、そこに横木を渡して、人が押して動かします。いわゆる大八車式の曳行です。もし人の代わりに牛が牽けば、まさに御所車のようです。そしてその御所車型の車輪が素晴らしい。

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(御車山の各部)

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(御車山の車輪)

高岡に限りませんが富山の曳山は車輪が見事で、巨大な御所車型の車輪を塗りと彫金で豪華に飾ります。輪を見せようという山車です。この車輪はまさに高級工芸品で、こんな立派なものを山車の中でも一番汚れ傷つきやすい車輪に使ってよいのかとも思いますが、それを敢えてするのが高岡なのでしょう。近くで見ても感心しますが、その輪がゆっくりと回転し陽光に煌いて回ると、車輪というものは何とも美しく、偉大なものだと感じます。

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(八尾曳山の車輪 越中の曳山はとにかく車輪を装飾します)

車輪という道具は人類の発明品の中で最高のものではないかと思われます。もしも車輪の発明が無かったら文明というものも興らず、人類の文化は石器時代を出なかったことでしょう。

しかも単に道具としてだけではなく、回転・周回という観念を通じて思想的にも大きな影響を及ぼし、新しい概念形成を行っている。輪廻やレヴォリューションも車輪がもたらした概念です。人類の精神文明も車輪が変転させているのです。

文明とはまさに車輪のことであった、とさえ言えるのかも知れません。

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(中国・兵馬俑博物館に展示されている銅車馬 紀元前3世紀・秦時代のもの)

したがってその車輪を用いた山車というものはまさに文明の象徴で、技術的にも宗教的にもより高次のステージを示す器械・祭器と謂えます。祭礼の道具として山車を発明したのはどういう人だったのか分かりませんが、宗教と技術文明を結び付けた天才だと思います。

車輪が回り、山車が動く(神霊が動く)。それは大変な驚きだったのではないでしょうか。

全国に山車と山車祭りは数多くありますが、車輪を強調した山車というのは必ずしも多くありません。内輪式で外見からはほとんど車輪が見えないものもありますし、実用本位で部品として扱われているものが多い。その点、高岡の曳山は車輪が大きく美しい。曳山は車輪だ、と訴えているようです。車輪が回り、ヤマが進む。そのことを美しさで語っています。

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(高岡御車山 その曳き回し風景)

高岡の町も美しい町で、品格があります。小路などいたる所に昭和の名残をとどめ、歩くだけで心が弾みます。重伝建にも指定されている山町通りはよく整備されていては大変に見事。古い建物は大事に保存されつつ活用され、新しい建物も蔵造り風で造るなど、町を挙げて美しい町づくりに励んでいることがよく解ります。

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(高岡の山町筋通り)

人口減少で都市も縮小傾向に進むこれからの時代、仕事のあることもさることながら、訪ねてみたい、更にそこに住んでみたいと思うような町づくりをすることは、都市の未来にとって極めて重要なことだと思います。高岡という町はそれを実現しつつあるように感じました。

曳山の行列が山町筋を通る姿も見たかったのですが、時間の都合上帰途に就かなくてはなりません。

いつものことながら、また改めてゆっくり訪ねたいと思った高岡御車山祭でした。

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(高岡の小路風景)