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舞台保存会だより38 本町5丁目の天神さま人形

本町5丁目の天神さま人形

(掲載の写真はクリックで拡大します)
本町5丁目に現在は積載されていないものの舞台人形が存在するということは、かねてより聞いていました。その人形は「天神さま」と呼ばれており、どうやら菅公の像らしい。菅公・菅原道真公は深志神社の御祭神でもあり、ぜひ一度実見したいものと以前から願っていました。

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(本町5丁目舞台) (本町4丁目舞台 舞台人形「神功皇后」が載っている)

このたび本町5丁目舞台の改修にあたり、町会からも「天神さま」復活の機運が高まったようで、併せて舞台人形改修・再積載の計画となりました。舞台修復の際、市からの助成金は文化的価値の高いものであれば人形にも適用されることになっていますので、簡素な舞台の5丁目としては、寧ろ人形改修を事業の目玉にしようと考えたようです。
それにしても、どんな菅公像なのか。町の人に聞くと、その人形が舞台に載っているのを見た人はなく、おそらく100年近くも舞台庫に仕舞われたままだとか。
「おれらが子供の頃には頭だけ舞台庫の中に転がっていて、蹴とばして遊んでいたんね。」と、はんこ屋の瀧口さん。
天神さまのかしらを足蹴にするとは、罰あたりというか祟りを恐れないというか、子供のしたこととはいえ、よくも今まで無事に過ごしてきたものです。

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(本町5丁目の人形のかしら)

また、氏子総代で下駄屋(履物屋)の降籏さんは
「わしが若い頃は、人形の首のところを持って『それー、天神さまだぞー。』と、小さい子供を脅して回ったものセ。するとみんな蜘蛛の子を散らすように丸くなって逃げるだ。(笑)それが面白くてね。」
「いやー、あれは本当に怖かった。特に夕暮れ時にやられるとね。」瀧口さん
「…しかし、今考えてみると、罰あたりだったわね…。」降旗さんはしみじみ語ります。
子ども・若者は罰あたりを繰り返して成長します。現在ではいたって敬神の念厚いお二人。因みに降籏さんは御歳80歳。瀧口さんは60台半ばでしょうか。

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(舞台庫前で) (阿部町会長と井口さん瀧口さん)

昨年の8月2日、その舞台人形・天神さまの調査が行われると言うので見に行きました。学術的な調査ではなく、修理見積りをするための状態検分です。阿部町会長さんをはじめ5丁目の方々、それと高砂通りの人形屋の花岡さんが舞台庫前に集まっていました。
本町5丁目の舞台庫は町内の極楽寺境内に独立してあります。全面トタン葺の哀れな建物ですが、中は木造で立派な梁が渡っていました。

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(本町5丁目舞台庫) (舞台庫内部 昭和7年の梁)

人形はその舞台庫の2階の棚に、大きな木箱に入って、その他もろもろのゴミと一緒に仕舞われていました。箱を降ろしてきて、やや興奮気味に中をあけてみますと、確かに人形が入っています。

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(人形の入った木箱を降ろす) (現れた人形の胴)

首の外れた人形は巨大な古いお雛様といった感じ。片膝立に座り、右手に太い筆を鷲掴みに握り、なぜか脇息まで付属しています。衣装は質の良いものなのでしょうが、さすがに褪色し、埃にまみれて見る影もありません。見るからにゴミといった風情で、よくも捨てずにとっておいたものと感心します。

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(木箱の中の人形とかしら)

そして、かしらは前後真っ二つに割れた姿で現れました。
瀧口さんにそれを示すと、
「いや、おれの頃はひとつだったんね。割れてはいなかった。」
自分は犯人ではないといった顔つきで強く否定します。どうも5丁目の悪童が天神さまの頭を蹴とばす悪習は、後の世代まで引き継がれていたようです。
かしらは頭髪こそないものの表情は明瞭で、傷んではいますが修復には問題ないようでした。わずかに口を開き、やや線の細い印象の翁顔をしています。

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(人形のかしら 二つに割れ 首の部分はない)

『少し変わった天神さまだな。寧ろ高砂のような顔付きだが…。』と思いつつ見ていると、
「この天神さまは何をしているところだいね?」と、瀧口さんが訊いてきます。
「さて、姿勢や衣装からすると、少なくとも宮中や公的な場所の様子ではないようですね。自宅に戻って、ゆったりとした気分で詩でも詠んでいるところでしょうか…?」
些か忸怩たる心持でそう答えましたが、これはいかにも拙い解釈でした。
そもそも天神さまと云うのは菅原道真公が神格化したものですが、公は大宰府に流され、恨みを抱いて昇天し雷神と習合して天神となりましたので、表情は厳しいものが多いです。
また、その肖像はほとんどが衣冠束帯姿で、座法は足裏合掌座(正式の名前を知らないので、私の勝手な呼び方です)。

総社お船 044 天神像
(菅公座像 足裏を正面で合わせて座っている)

渡唐天神図のような例外はありますが、少なくとも家で寛ぐ道真公などという絵柄は見たことがありません。片膝立の座り姿が妙に寛いだ印象を与えるのですが、こんな天神さまもあるのかな、というのが正直な印象でした。

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(人形の胴体部分) (人形の底部 座り方がよく分かる)

人形屋の花岡さんは、写真を撮り人形の各部の寸法を細かく取っていました。かしらはこのまま接着して修復し、胴や手足などの体幹部も大丈夫そうです。衣装は勿論新調。色合いや刺繍柄によく似た生地を探して着せるとのことでした。
ただ、頭髪と被り物が分からない。まあ、頭髪は平安時代の髷姿でしょうが、被り物は残っておらず、冠か烏帽子か。冠ではなさそうな気がしますが、烏帽子にしてもどんな種類か。この辺は修復に当たる専門家の有職の知識と判断に任せようということになりました。

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(人形の寸法を取る花岡さん)

ところが後日、修理プロジェクトの方から、人形研究の専門家がいるので舞台人形を調査したいとの要請があり、昨年の10月10日、あらためて調査が行われました。当日は日柄も甚だよろしく、忙しくて私は同席できませんでしたが、後に経過を聞くと、
『本町5丁目の人形は江戸時代の作品で極めて貴重な人形である。もし修復する場合は、衣裳も現状のものを使って修復すべきである。したがって修復はかなり難しい。できれば手を加えず、このままの状態で保存することが望ましい。』との結論だったそうです。
また、人形の頭に付いているはずの首の部分。その棒のような部品が行方不明で、だいぶ探したようですが結局見つかりませんでした。しかし、この首部分には人形やかしらに関する由緒が書かれていることが多く、調査した先生は残念がっていたとか。
下駄屋の降籏さんは所在を訊かれて、
「わ、わしは知らないんね…。」と、震える声で答えていました。本当に知らないのでしょうが、何となく責任を感じてしまうようです。
さらに、この人形を見た専門家の見解は、
『菅原道真像とされているが、姿勢や顔の表情からこれは柿本人麻呂の像ではないか。』と。
町会にとっては相当衝撃的な見解のようです。

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(柿本人麻呂像) (柿本人麻呂像 立川昌敬作)

「そんなことってあるかい? 5丁目では昔っから、天神さまって言ってきただがセ…。」阿部町会長は、不審そうに言います。
しかし、百人一首などで見る柿本人麻呂像は確かにこんな姿勢をしており、概ね腑に落ちます。少なくとも、私には納得のいく見解でした。
それにしても柿本人麻呂が、いつの間にか天神さまになっていたとは…。伝承ほど当てにならないものはありません。
本町5丁目の舞台人形『天神さま』は、どうやらそのまま松本市に文化財として寄贈される予定で、修復後の舞台にはレプリカとして新たに制作される人形『柿本人麻呂』が載ることになるようです。